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このごろ、気味が悪いのは、いい若い者から時にはおばさんまで、カメラに写る時は指を二本立てて、Vサインをすることである。先日、通天閣とじゃんじゃん横町のテレビルポを見たが、画面に写る子供も若者も誰も彼もが、カニのはさみみたいに指を二本立てて同じポーズをする。見ていて気分が悪くなる。自分というものが全くない証拠であろう。 Vは勝利を意味するヴィクトリーのサインかと思っていたが、ピース=平和という意味なのだ、と教えてくれた人もいる。なぜVサインがピースなのか、よくわからない。 つい先日、障害者たちとイスラエルへ旅行をして来たせいか、ピースというとまたまた別の反応を起こしてしまう。 イスラエルでは「今日は」を意味する時にも、「さようなら」と言う時にも、「シャローム」と言えばいいのだから便利でしょう、と教えられたのだが、シャロームとは、厳密にはどういう意味なのですか?と聞いたことがある。シャロームを訳せば一応「平和」ということなのだそうだが、厳密に言うと「欠けたことのない状態」を示すのだという。 空腹、病気、憎悪などに悩んでいれば、確かに平和ではない。それは食べるものに欠け、健康に欠け、愛に欠けているからである。 通常人間は、「欠けたことのない状態」などにいられないのである。この世は、思い通りにならないことばかりだ。ことにユダヤ人たちの歴史はそうだった。二千年の間、彼らは国家を失って世界を放浪し、自分の力だけしか身を守るものはないことを知って来た。 だからユダヤ人が相手に「シャローム」と言う時、それはこの世にあり得ないすばらしいものを「あなたに贈ります」という実感と結びつくのだろう。 写真でポーズを作る時に、誰も彼も、二本指立てて、カニの真似なんかするな、とどうして親も教師も教えないのだろう。私は最低限、無意味に人と同じことをしないようにして来た。それだけでは、他の分野の専門家にはなれなかったが、やっと小説家にだけはなれた。人と同じことをしていたら、小説家にもなれないだろう。 ああいう精神は、戦争中の大多数の日本人とそっくりなのである。「大東亜共栄圏の実現のための、この戦いは聖戦なのだ」と軍部が言えば、少しも疑わず抵抗もせず、嬉々としてその通りにした日本人の精神構造と、寸分違わぬものなのである。 二本指を立てて、カニの真似をしても構わないが、そういう人たちには、日本の過去を非難する資格などない。今の彼らと同じに、昔の私たちは、時代に同調して来たのだ。「軍隊がいれば慰安婦くらいおくのは当然だろう」と昔は思い、今は「タイへ行けば女を買うくらいのこと、皆やってるんじゃないの?」と言うのである。 平和の実現は、多くの場合、人と同調することではなく、抵抗することから生まれる。
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