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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: Vサイン?同じポーズ、気分が悪くなる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 46  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/05/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   このごろ、気味が悪いのは、いい若い者から時にはおばさんまで、カメラに写る時は指を二本立てて、Vサインをすることである。先日、通天閣とじゃんじゃん横町のテレビルポを見たが、画面に写る子供も若者も誰も彼もが、カニのはさみみたいに指を二本立てて同じポーズをする。見ていて気分が悪くなる。自分というものが全くない証拠であろう。
 Vは勝利を意味するヴィクトリーのサインかと思っていたが、ピース=平和という意味なのだ、と教えてくれた人もいる。なぜVサインがピースなのか、よくわからない。
 つい先日、障害者たちとイスラエルへ旅行をして来たせいか、ピースというとまたまた別の反応を起こしてしまう。
 イスラエルでは「今日は」を意味する時にも、「さようなら」と言う時にも、「シャローム」と言えばいいのだから便利でしょう、と教えられたのだが、シャロームとは、厳密にはどういう意味なのですか?と聞いたことがある。シャロームを訳せば一応「平和」ということなのだそうだが、厳密に言うと「欠けたことのない状態」を示すのだという。
 空腹、病気、憎悪などに悩んでいれば、確かに平和ではない。それは食べるものに欠け、健康に欠け、愛に欠けているからである。
 通常人間は、「欠けたことのない状態」などにいられないのである。この世は、思い通りにならないことばかりだ。ことにユダヤ人たちの歴史はそうだった。二千年の間、彼らは国家を失って世界を放浪し、自分の力だけしか身を守るものはないことを知って来た。
 だからユダヤ人が相手に「シャローム」と言う時、それはこの世にあり得ないすばらしいものを「あなたに贈ります」という実感と結びつくのだろう。
 写真でポーズを作る時に、誰も彼も、二本指立てて、カニの真似なんかするな、とどうして親も教師も教えないのだろう。私は最低限、無意味に人と同じことをしないようにして来た。それだけでは、他の分野の専門家にはなれなかったが、やっと小説家にだけはなれた。人と同じことをしていたら、小説家にもなれないだろう。
 ああいう精神は、戦争中の大多数の日本人とそっくりなのである。「大東亜共栄圏の実現のための、この戦いは聖戦なのだ」と軍部が言えば、少しも疑わず抵抗もせず、嬉々としてその通りにした日本人の精神構造と、寸分違わぬものなのである。
 二本指を立てて、カニの真似をしても構わないが、そういう人たちには、日本の過去を非難する資格などない。今の彼らと同じに、昔の私たちは、時代に同調して来たのだ。「軍隊がいれば慰安婦くらいおくのは当然だろう」と昔は思い、今は「タイへ行けば女を買うくらいのこと、皆やってるんじゃないの?」と言うのである。
 平和の実現は、多くの場合、人と同調することではなく、抵抗することから生まれる。
 



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