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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 倫理規定?日本人の心は貧しくなった  
コラム名: 自分の顔相手の顔 337  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/05/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   前にも耳にしたことがあるが、公務員の倫理規定が再度発表されたそうで、これからは同級生でも片方が公務員だと食事をおごることもできなくなるという。こういうくだらない用心をするから、ますます人間関係は貧困になるので、私は守る気はないが、自分個人以外のお金を使う時は、いつどこで、何のために誰といくら使ったかをはっきり記録し、それをいつでも公表できなければいけないだろう。これは会社でも、お役所でも、他のあらゆる組織でも同じである。
 昔と比べて日本人の心が貧困になったことの表れは、むしろおごろうとする年長者がほとんどいなくなったことかもしれない。
 私も若い頃は、取材費や食事代は出版社や新聞社に出してもらっていた。当時はお金の余裕もなかった。しかし四十代の半ば過ぎからは取材は自費に決めた。行ってみてそのテーマを棄てるかもしれないのだから、お金を出してもらわない方が心の自由があった。
 その上、近頃はもっとすばらしい条件が加わった。私はたいていの場合、誰よりも年長になったので、おごっても当たり前になったのである。
 そんなことを言うと、また時々ぞっとするようなことを言う人に会う。
 「仕事がほしいから、おごるんですか?」
 こういう発想しかないのだ。
 私は昔から流行作家だったことがない。書ける量が決まっているから、それ以上の「ご繁栄」などあっても、不眠症になるだけだ。最近では、死ぬまでに書くテーマは充分できたような気もするし、書けるだけ書いて或る日終わり、というのが自然でいいのである。それを本にしてやろうと言って下さる奇特な所も多分あるだろう。なかったらそれもまたいいのである。
 今までの人生で、不思議だったのは奇妙に「棄てる神あれば、拾う神あり」だったことだった。文壇はヘソ曲がりだから、仮に仕事が欲しくておごる人がいたら、「あんな奴に頼むのは止めよう」となるに決まっている。
 だから私たちの世界では、吝嗇を極めても、別に仕事とは関係ないだろう。その人の書く小説さえよければ、その人物はどうでもいいのだ。ほんとうの編集者魂を持った人なら、ほとんど意に介さないだろうと思う。
 しかし今はどこの出版社も景気がいいわけではない。私は人付き合いが悪くて、お酒も飲まず、カラオケも嫌い、ゴルフも麻雀もしない。人を呼び出すのは罪悪と感じているが、ファックスやEメールで原稿を送っておけばいいというものでもないだろう。ごくたまには作品の完成のために力を貸してくださった人たちとお喋りをし、日頃の感謝を伝え、近況を語るべきだろう。そんな時、ほどほどのところで食事をしたりコーヒーを飲んだりして、年長の私が払っても少しも悪いことはない。
 年長者がおごる風習がなくなった時、教育も人間関係も滅びたように思う。出しもせず出されもしなければ、正義と平等と人権は守られる。しかし人間性は失われる。
 



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