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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 応急処置?砂漠で炊き損なったササニシキ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 286  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/11/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   米を炊く時の基本的な水の量は、米一に対して水一・五である。ところが炊飯器でばかりご飯を炊いていると、この原則がわからなくなっているから、緊急時にそこらへんにあるお鍋で、ご飯を炊くことができなくなる。
 子供の時には毎日ガス釜でお米を炊くのが私の役目だったから、研ぐ時も手首の骨の一番高いところまで水位を計ればまちがいなかった。しかし後年、シナイの砂漠に野営した時、パエリア料理をするような浅い鍋でご飯を炊くことになって失敗したことがある。鍋の一方にはおこげができかけ、一方には芯の残ったご飯ができる、という最悪の事態になったのだ。
 まともなお釜か炊飯器でない限り、まず水を手首の骨の所まで、というような計り方でやるのは危険である。鍋の形に問題があるだけでなく、大量になると狂うというのだ。
 とにかく今度のアフリカの旅でも、三十人分くらいの、ご飯を炊くことになった時、かなり自信ありげに手首までで計ればいいと言い張る人の言うことを聞いて、芯飯ができてしまったことがある。シスターと私は、途中でどうもだめだとわかって、慌てて水を足し、シスターはその応急処置が効いて何とか貴重なササニシキが無駄になりませんように、と神さまにまで祈ってくれたおかげで、どうにか救うことができて、私たちはほっとし、とたんにニコニコしたのだが、他の年長のシスターに聞くと、やはり厳密にお米の一・五倍の水を計って炊けば、ほとんど問題ないということだった。
 「一対一・二だって聞いてましたけど」
 と私の知人の若い奥さんが言うので、「その程度の違いの時は、多い方に間違っておけばいいの。芯のあるご飯ができちゃうより、雑炊ができる方が無難だから」
 と言っておいた。
 要は、食べられればいいのだ。少々の不都合は目をつぶって安全を取る。それがサバイバル、緊急、非常時、の生き延び方である。緊急の時に、ササニシキの米粒が立つように炊けたかどうかなど、どうでもいい。しかし「一対一・五」は正確な数字だ。
 濾過装置もない場合、水が泥水だったらまず少しだけ沈殿させて上澄みを採る。それから薬罐で煮沸する。すると飲める。災害救助隊は、水も食料も寝る場所も衛生設備も病気の対策も、すべて自分の持っている技術と物資と才覚で賄うのが原則である。それができない組織は災害救助隊の資格を持たない。
 「そうか、水は煮沸すると飲めるのか」
 と驚いた学校秀才がいた。
 昔はアメリカ合衆国を一歩南に国境を越えれば、アメリカ大陸の最南端フェゴ島まで、都市部以外では瓶詰の水もコカコーラも買えなかった。私たちは必ず煮沸した水だけを飲んだ。自然の産物で完全に無菌なのは、椰子の実の中のジュースだけだと教えられ、椰子は何と偉大な殺菌装置を備えているのだろう、と感嘆したことを今でも覚えている。
 



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