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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人間の能力?相手の立場で考えてみたら…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 207  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/01/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一月上旬の大雪の時には、ブルートレイン「出雲」が十九時間遅れたなどというニュースが出た。するとテレビが必ず列車から降りてくる疲れた乗客に印象を聞いている。
 こういう場合、まあ心優しい人と怒っている人、若い人と高齢者、などの双方から談話を聞いて、バランスを取ろうとするのだろうが、中の一人の中年女性の怒りは、「何の放送もしない」「後五分で動きます、というようなことを言いながら、その通りにならない」ということであった。
 確かに乗客側からみたらそうなるのだろう。しかしこの人は、もし自分がJR側だったらどうするか、ということを考えたことがないのだろう、という気がした。
 台風、地震、洪水、火事、土砂崩れ、だけではない。株の相場、病気の経過、遭難事故の救出状況、など、私たちはあらゆることに対して「どうなるのか」と息を殺して待つだけで、誰も数日後のこともわからないのである。今の日本は平和だが、内戦などあったら、この状況がどういうふうに解決するのか、それともずっと続くのか、誰にも何も言えない。それが人間の能力の限界なのである。
 立ち往生した列車では、何かを放送したくとも、どこからどういう救援が来るのか、どういう退避の仕方をするのか、それより肝心の雪が止む方向にあるのか、それとももっと激しく降るようになるのか、だれにもわからないのである。
 一月十一日、私は北海道に日帰りで出かけた。着いた時の札幌は薄い陽差しまであって、気温も温かく、迎えてくださった方は、「これは三月の気候です」などと言われ、私は「晴れ女なものですから」と安心していた。
 ところが嘲笑(あざわら)うように、二時間もしないうちにかなり激しい降りになった。人間、自慢などしないことだ、という警告のような天候の変わり方である。幸運にも飛行機のスケジュールの乱れもなく私は帰れたのだが、人間の力はとうてい雪一つに勝てないし、予測もできないのである。
 もし正月休みの最後の頃のように、飛行機が出なかったらという話になった。私は空港ホテルなどに行かずに、まず新聞紙を買って来て、空港の建物の床でゆっくりと一晩休ませて頂きます、と予定を立てた。
 私はサハラの縦断をしてから、野宿ということを全く恐れなくなっただけでなく、ひどい雪の中とかごつごつの岩山に寝ろと言われるのでなく、暖房が効いていてトイレもある清潔な乾いた平面に寝かせて頂けるなら天国だ、と思う癖がついたのである。寝台列車が十九時間遅れたというのは、その点、何しろ寝台つきなのだから最高の状況だと言ってもいい。
 むしろ私はJRの関係者に深く感謝した。その雪の間、彼らは休みもなく献身的に働いてくれた。一人一人に感謝を伝える方法はないけれど、すばらしい人たちなのである。文句を言うどころか、である。
 



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