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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家族?未来のためでも犠牲にできぬこと  
コラム名: 自分の顔相手の顔 241  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/05/31  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ミャンマーのアウン・サン・スーチーさんのイギリス人の夫、マイケル・エアリス氏が亡くなったのは最近のことである。エアリス氏が癌でもう再起の希望がない、ということになり、一目妻に会いたいということになっても、ミャンマー政府は夫の入国を認めなかった。スーチーさんがイギリスに見舞いに行けばいい。出国させない、と言っているのではない。むしろ夫人が病人を見舞いに行く方が自然だろう、というのが政府筋の理屈だった。
 しかしスーチーさんは行かなかった。もしいったん国外へ出れば、それをいいことにミャンマー政府が、スーチーさんに再入国を認めないだろう、という恐れがあったからだ、という。スーチーさんが夫を見舞うために国を出れば、ミャンマーは民主化運動のリーダーを、自然に追い払うことができる。それがわかっているからスーチーさんは国を出なかったのだろう。
 あの頃、私はスーチーさんの記事を新聞で読む度に微(かす)かに憂鬱(ゆううつ)だった。人のことを事情もわからないままに、あれこれ推測するほど失礼でむだなことはない。しかし小説家というものは感情移入が習い性(せい)となっているから、つい自分がスーチーさんだったらどうするだろうか、と考えたのである。
 彼女の父も強い人だった。ビルマ独立のためだとは言え、それまで親しく教えてくれていた日本人の軍人を殺してからイギリスに投降したのである。
 イギリス人のご主人はそのうちに亡くなった。ああ、遂(つい)に、という感じだった。もともと長い間政治的使命のために、別居生活を続けていた夫婦なのだから、夫は妻が傍(そば)にいないことにも馴れてはいただろう。しかし今年二十歳を越えた長男も二男も、長い間、母とは別に暮らしたのだ。母はなくても子供は育つだろうが、夫と二人の子供といっしょに暮らさなくて、イデオロギーのために奔走するなどという生き方は、私には虚偽的に思える。
 ましてや死にかかっている夫を見捨てて帰らないことなど、どうしてもできない。私は自分の属する国家の運命、多くの同胞の未来より、一人の家族の最期の願いを叶(かな)える方がずっと大切なことに思える。身近な人を幸福にできなくて、何が民衆のためだろう。この世には理想的な家庭などないけれど、とにかくいっしょに住むことが家族の基本的な姿である。
 つまり私は女々(めめ)しい作家で、決して政治的指導者などにはなりえない、ということがはっきりしただけなのだが、私はこんなに年をとらない前からでも、旅行に出る度に、もう人生で残された時間も長くはないのに、夫と別々の日を過ごすとは、何というもったいないことをしているのだろう、と考えていた。
 しかしそれでも、私が旅行すれば、夫は「やれやれこれで静かに本が読める」と考え、私も一人で留守番の日が来ると「今日はのんきでいいなあ。友達のうちへ行こう」と喜んだ。そう思えたのもいっしょに暮らしていたからなのである。
 



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