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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「神の国」発言?政治的攻撃目標にする前に  
コラム名: 自分の顔相手の顔 341  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/06/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   森総理の「神の国」発言の後遺症を見ていると、いろいろなことを考えさせられる。
 一国の総理なのだから、発言を慎重にするように、という注意が周囲からもあったというが、まことにその通りだとも言えるし、だから政治家にも役人にも一人としておもしろい人が出ないのも本当だなと思う。一生、発言を計算し、用心することに「耐えられる人」というのは、私からみるとあまり信用できない。しかしそのどちらも、当人が望んでなった立場だから、別に同情することはないのである。
 言葉にうるさいはずのマスコミが、石原都知事の「第三国人」発言に対しても、この「神の国」発言に対しても、まことにいい加減なのがおかしいとも言える。石原知事の場合「第三国人」の前に「不法滞在をしている」という意味の限定がついていたという。それを抜かして報道するということは、裁判の場合などでは考えられない、と或る弁護士は言う。
 文学でもそうかもしれない。一人の男が「女好きの人間は、悪いわなあ」と言うのと、「人間は悪いわなあ」と言うのでは、大きな哲学的な開きがある。
 「天皇中心の神の国」という表現も、いろいろに考えられる。天皇が神さまという風には文意からは考えられないが、天皇が象徴であることを認めるなら、一つの中心ではあるだろう。
 日本には無神論者が多いから「神の国」という表現に怒ったのかもしれないが、日本以外では、政治にも生活にも神が濃厚に存在する国の方が絶対多数を占める。イスラム八億、ヒンドゥ六億、キリスト教十五億、他にユダヤ教千八百万、仏教二億、を考えれば、彼らは皆自分たちは「神(仏)の国」の民と明確に思っており、それを誇りと心情にしている。
 前にも書いたかもしれないが、入国時の書類に宗教を書く欄のある国があった。過去形で書くのは、現在の状況を完全に知らないからだが、今でもあるだろう。そんな時、相手がイスラムの国でも「私は仏教徒(或いはキリスト教徒)です」と申請すればすんなり受け入れられる。しかし無宗教と書けば、用心されるだろう。神のない人は、どんな破壊的なことをしても、不思議はないからである。そういう反応の方が世界的に普通だ。
 天皇が中心かどうかという点だが、天皇ご一家の人気がどうしてこんなにあるのか不思議に思うことはある。「陛下に(皇后さまに)お会いした」という話を、感動的に書いたり喋ったりする人には日本の津々浦々で数限りなく会った。その人が別にその話題を持ち出す必要がないのにそうなのである。外国の客も必ずと言っていいほど「陛下にお会いした」と喜ぶ。社会主義国家の客までがそうである。「総理にお会いして感動した」という人にはまだ会ったことがない。
 「神の国」発言に怒り、政治的攻撃目標にする暇に、彼ら糾弾者たちならいったいどういう政治をするかを、私はまず聞きたいと思う。
 



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