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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 世間の人?頼まれたら断るのが私…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 93  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/10/28  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   このごろ時々、つくづく不思議だと思うことがある。それは私が日本財団の会長として働いているということを知って、補助金を申請しているグループの誰かが、私に「特にお頼みしたい」と言って来ることである。
 こういう考えは、実に世間に例外がない。女性でも男性でも、政治家でも実業人でも、修道女でも同窓生でも、誰でも同じことを言って来る。
 しかし私は就任の時に財団の全員に言ってしまったのである。いかなる場合でも、私の知り合いだと言う理由で、特別の便宜をはからうことは要りません。その代わり、誰にでも、同じように、正当に、親切に考えてあげて、普通に判断してください、と。
 それ以外のどんなルールがあるというのだ。もし私の知人だとか、昔からの関係者だとかいうことで、補助金を出すということにするなら、それは政治家とその廻りのいかがわしい人たちがやっていることと、全く同じことをするわけではないか。
 私はどんなに頼まれても、決して知人の関係する団体の補助金交付のための応援演説はしない。むしろ相手が特別に頼んで来ていることほどぴたりと黙っている。頼まれないものなら無邪気に「あら、そういう話は、割りとおもしろいんじゃありませんか」と言える場合でも、頼まれた話だと「お口添え」どころか、反対かと思われるほど黙っている。
 だから補助金を受けたいと思ったら、決して私に頼まない方がいい。そういう単純なことがどうしてわからないのかと思う。世間は頼まれたくらいでそれほど簡単に動くのだろうか。頼まれて私が動いたら、不公平に動いたことになる。そんなことをやれ、と言う相手だったのかと思って白けることもある。私が頼まれて動くだろうと思うのは、誰かの命が病気か怪我かで危機に瀕している時だけだ。
 私に会いたいという人の三分の一は、そういう頼みごとである。それはいわば割り込みだ。私はもっと内容のある仕事をしなければならないのに、自分のことだけは、特別に注目し便宜をはかってくださいと割り込むのだから、ルールを守らない人なのである。
 頼まれたら断れない、という神経も私には昔からなかった。これはあるべき感覚が欠損しているのかもしれないが、私はどんな相手でも筋が通らなければ断れる。悪く思われても仕方がない、と初めから思っているのだ。言葉を替えて言えば、私はもうとっくにうんと悪く思われて来たのだから、今さら、評判をよくしようとしても、無理なのである。
 誰でも自分の関係している案件は大切だ。だからそれを断られると、不機嫌になる。しかし世の中には、それよりもっと差し迫ったお金の必要な口があるものなのだ。その比較で財団はお金を出して行く。
 世間の人は政治家の不正を悪く言うが、私のみるところ、たいていの人が、彼らと全く同じような裏道を探ろうとするのである。
 



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