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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 潜水艦員の詩?妻に「愛してる」という時間を  
コラム名: 自分の顔相手の顔 384  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/11/07  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本の新聞や雑誌でも紹介されたのかもしれないが、私は日によって新聞を一紙も見ない時があるので、もし重複していたら許して頂きたい。私が最近、心を打たれたのは八月十二日バレンツ海で沈んだロシアの原子力潜水艦≪クルスク≫の乗組員ディミトリー・コレスニコフ海軍大尉が残した遺書である。
 彼は≪クルスク≫に乗り込むために家を出る前に、妻のオルガに当てて、まるで自分の運命を予測していたような一つの詩を書き残していた。
 「私の死の時が来たならば、
  今はそのことを考えないようにしてはいるけれど、
  妻に、
  君を愛しているよ、
  という時間を与えて欲しい」
 このコレスニコフ大尉が、沈没した潜水艦の中でも最後の記録を綴っていた人だということになっている。艦内の短い記録は紙の両面に書かれており、片面は妻への言葉、片面は事故に関する技術的な報告だった。「現在、十三時十五分」に始まる記録の中で生存者は刻々と増える。「私は漆黒の闇の中で書いている」とコレスニコフ大尉は結んでいる。
 事故当時≪クルスク≫では、第六、七、八区画にいた生き残りの艦員が第九区画に退避して来ており、通常は三人しか入れない空間に二十三人が集まっていた。そしてかれらの呼吸で小さな区画内の空気には刻々と二酸化炭素が増え、呼吸困難を覚えるようになったはずだという。これらの新しくわかった事実が、遺族たちを苦しめた。愛するものの死が一瞬のものでなく、長くじわじわとかかり、しかも期待した救援がついぞ来なかったという無残さを突きつけたからであった。
 収容された数人の遺体の葬儀では、「私たちを許してください。さようなら」という弔辞の言葉も政府側からあったというが、どのような事件の際にも、こうした証言者となる人は現れるものなのである。
 しかし私はこのコレスニコフ大尉が家に残して来た詩のことをさらに大きく考える。
 世間には、妻にたった一言、これだけの優しい言葉もかけずに死ぬ夫があまりにも多いということだ。もちろん、夫が優しい人だったからこそ、コレスニコフ夫人の悲しみと喪失感は幾倍にもなったとは言える。夫が自分勝手で、浪費家で、暴力的で、アルコール依存症だとしたら、妻の中には夫の死を「これであの人から解放された」という形で受け取る人も必ずいるのだ。
 妻に対して、或いは夫に対して、この人と結婚してよかったと思わせることは、たぶん「ささやかな大事業」である。私は社会的に大きな仕事をしながら、妻には憎まれて生涯を終えた人を少なからず知っているから、なおのことそう思うのかもしれない。たった一人の生涯の伴侶さえ幸福にできなくて、政治も事業もお笑い草だと私は思っている。
 



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