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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: ノーマン・ボーローグ博士 1)  
コラム名: 地球巷談 19  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1997/05/11  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  アフリカの食糧増産に尽力
 ノーマン・ボーローグ博士の名前をどれだけの人が知っているでしょうか。一九六〇年代に深刻な食糧不足に苦しんでいたインドやパキスタンで、ハイブリッド小麦の栽培に成功。多くの人々を飢餓から救い、「緑の革命」と呼ばれる食糧増産計画の原動力となった人物です。七〇年にはその業績に対して、ノーベル平和賞を受賞しています。
 「緑の革命」を可能にしたハイプリッド品種は、昭和初期、稲塚権次郎という農学者が育成した、矮小で屈強かつ骨太と極めて日本的な小麦農林10号がべースになっています。ボーローグさん自身も何度も来日されており、農業分野では著名な方なのです。
 わたしが最初にお目にかかった七四年、小麦の原種を探してヒマラヤを踏破した京都大学の木原均博士らとご一緒した昼食の席でした。真っ黒に日焼けした肌とひょうひょうとした人柄が印象的でした。が、その博士と将来いっしょに仕事をすることになるとは夢にも思いませんでした。
 八四年のエチオピアの飢餓を契機にに、カーター元米大統領らと飢餓会議を開いた経緯は先に紹介した通りです。私たちは、アフリカでの食糧増産計画実施のため、この分野の権威威、ボーローグ博士の協力を求めました。「わたしはもう引退している」というのが博士の答え。父、笹川良一が、「あなたより十五も年上の私がいっしょにやろうといっているのだから」と説得。七十一歳と八十六歳の長寿コンビが誕生し、食糧増産プロジェクト「笹川グローバル2000」がスタートしたのです。
 八六年にはボーローグ博士、カーターさん、父とわたしは、「笹川グローバル2000」の最初の対象国となったスーダン、タンザニア、ザンビア、ガーナの四力国を六日間で回りました。
 ジェット機内では、カーターさんと父はにぎやかに会話が弾みます。一方、博士はといえば、分厚い本を手に寸暇を楽しんでの読書でした。当時、最後の訪問国、ガーナでは反米感情が強く、毒が盛られることを懸念して帰途の機内食積み込みは中止。万一に備え、私が持参したわずかなカップヌードルをおもむろに取り出しますと、みなさんあっと言う間に平らげ、特にボーローグ博士は「うまい、うまい」の連発でした。
 父が「飢餓に苦しむ国にカップラーメンを送っては」と言い出しましたが、すぐそれが無理だということがわかりました。飢餓に苦しむ国々は、みな燃料が乏しいのです。焼き畑農業の行き過ぎで土地が砂漠化し、緑がないのがアフリカの飢餓の原因のひとつです。お湯を沸かすこと自体、至難のことなのです。
 



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