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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 真の苦しみ?責任のない口先だけの人道主義  
コラム名: 自分の顔相手の顔 70  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/08/04  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九八六年、山口で亡くなったスペイン人のイエズス会士、フェリックス・ヴィエラ神父をしのぶ「心に残るヴィエラ神父の言葉」という本の中に、次のような言葉が書き留められている。
 「人間が生涯をかけて願い求めるもの、それは真、善、美である。日本には、善と美は豊かであるが真がない。真がなければ普遍的価値を持たない。そしてこの真にだけ苦(にが)いものが伴う」
 私はヴィエラ神父が、この言葉にどのような深い意味を込められたのかほんとうはよくわからない。しかしいつも私が遠回りしながら考えていることを、この数行が言い尽くしているとよく思うのである。
 今の日本では、人道的な発言や行動はいたるところに見える。新聞なども、その線に沿った発言を、いかに素早く知的に行うかに狂奔しているかに見えることがある。
 先日の神戸の小学生殺人事件の、十四歳の被疑者の写真を載せた週刊誌が出た時、私は外国にいたので、もちろんその写真も見ていないし、その時の空気もわからない。しかしあれだけの猟奇的な事件に関係した被疑者の顔を出すことが、それほどの悪とも思えない。圧力をかけて雑誌を売らせないようにするのが、人道的な良心などとは全く思わないし、問題の週刊誌に広告掲載を止めた会社が、いかにもその行為を人道的な義憤の結果のように言っているのなど、全く幼稚だと思う。
 そういう会社はこの被疑者の少年や殺された少年に何ができたのか。どんな解決策があると思っているのか。
 私は(自分を初めとして)人間の性格は、多くの場合どんな教育を受けてもほとんど変わらないことを見て来た。歪んだ性格の使い道を見つけるということはある。私が作家になったのもそのささやかな応用であった。
 しかしあの少年を基本から変えることは恐らくできないであろう。とすると、その結果は、少年の人権をいささか抑圧して社会を守るか、少年の人権を守って社会が再び被害を受ける恐れを残すかのどちらかであろう、と思う。広告をやめた会社は、そのいずれを取ることを、選択し、承認したのか。
 だから私は会長をしている日本財団の広告を、あの雑誌から引き上げることはしない。引き上げた会社(複数)に対する抗議のためにもしない。責任のない口先だけの人道主義ほど、現代で戒めなければならないものはないからだ。それくらいなら、私は現世で生きることに伴う、「応分の疚(やま)しさ」や「無能さ」を自覚して、分担することの悪を取る。
 それがヴィエラ神父の言った「真の苦み」である。人間が、真の追及が口当たりのいいものでないという苦さを知る時、初めてその苦渋も普遍的になり得るのである。今の日本人的な人道ぶりは、もっと激しく憎み合い闘って来た多くの世界の人々の感覚には、とうてい幼くて受入れられないだろう。
 



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