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東南アジアの国々は、今は日本の不況のあおりを受けて経済的な危機に瀕している国が多いというが、それでもアフリカや南米の多くの国々からみると豊かで安定している、というのが私の印象である。その理由は簡単で、東南アジアでは、たいていの国ではバナナが生えるからだ。 バナナはどこの田舎の家でも、裏庭や道路脇などに十本や二十本は植えてある。それだけでもう決定的な飢餓から救われるのだ。しかし飢餓から救われればいい、とは今の人たちは考えない。ラジオも欲しいし、オートバイも、新しいモデルのスニーカーも買いたいのである。それで不平不満が起きる。 シンガポールは国中が整備され、飢えに苦しむ人などいないように見える都市国家だが、それでもここでは日本で聞けないような厳しい話が耳に入って来る。 犬がいなくなった、というのである。どうして? 車に轢かれたの? というと、そうではない、食われてしまったんだ、と証拠はないのだけれど、周囲の人はそう信じているらしいのである。なぜかというと、ここには近隣の諸国から、就労許可を持った労働者が入っている。その人たちは一日に二千円くらいの労賃で土木の現場で働いているのだが、労働がきついのでお腹が空き、犬を見掛けると、殺して食べてしまう、というのだ。 もちろん誰も現場を見たわけではない。しかし日本では、ここまで空腹と密着した話は噂にしても聞こえてこない。 顔見知りの他家のメイドさんが「私は来月、国へ帰ることになりました」と言う。「休暇で?」と聞くと、「いいえ、もうずっとシンガポールには戻って来ないんです」という。彼女は雇い主から大変信頼されていた。だから腑に落ちない結果である。「就労ビザが切れたの?」と質問すると「政府は就労ビザは出すんですけど」と言葉を濁した。 若く見えるけれど彼女はもう四十過ぎで、八年もこうして家族を残して出稼ぎに来ている。今働いている家はとてもいい人たちで、と彼女の方でも喜んでいたので「何があったの?」と少し立ち入った聞き方をしてしまった。すると一瞬暗い影が彼女の顔に走った。 長男が「お母さんが長いこと家を離れているから、弟が問題を起こした」と手紙を寄越したのだという。一瞬女の問題かオートバイの事故でも起こしたのかと思ったが、ドラッグをやったのである。十七歳だというからむずかしい年頃なのだ。 息子のために彼女はずっと家にいることに決めた。家族の再会は願わしいことだが、それは彼女が今まで支えていた一家の現金収入が途絶えることだから、今この景気の先行きが不安な時に決して望ましいことではないだろう。 どの社会にも深い危機感と繋がった苦悩がある。それがないような顔をしている日本人の方が時々不気味に感じられるのである。
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