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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 意味?たとえ願わしくないことでも…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 267  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/31  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   トルコの地震の報道を見ていると、阪神・淡路大震災の記憶と重なって見える。関西在住の人たちは、もっとその思いが深いだろう。人命の被害だけでも、二倍を越えて三倍に近い大きさになった。
 警察は、大統領や首相にシークレット・サービスをつけて身辺の警護をする。それは存在そのものではなく、立場・職責の機能上のことではあろうが、その存在が重い人と、重くない人がこの世にいるということだ。
 しかし小説家にとってはどんな人の生涯も同じような重さがある。政治家の生涯は伝記になるだけだが、普通の人の生涯は文学にたり得る、というのもおかしなものである。
 だから瓦礫の山の側に茫然としてたちすくむ婦人の姿は眼に灼きついて忘れられない。
 シンガポールで夏休みを過ごしている間、私たちはもっぱらバスで町へ行くのだが、バス路線や地下鉄が安く乗れるという町はいいものだ。途上国ほど鉄道がなくて、皆がバスやタクシー、または乗合タクシー的なものに依存する所が多い。それでますます道は混み、移動時間の予測も立たなくなり、空気の汚染もひどくなる。
 私にとって外国でバス路線を覚えるのは、しかしなかなかむずかしい。途中であっと言う間に別の道に入られたりしてしまう。今日も同じような目に遭い、途中の全く知らない地域のバス停で仕方なく下りることにした。同じ番号の反対方向行きに乗って、元へ戻ろうかと考えていると、近くの道を、戦前風のリヤカーを引いた裸足の男がダンボールなどを乗せてゆっくりと歩いて行った。
 この国で裸足の男を見たのは初めてだった。昔も今も、アフリカでも南米でもアジアでも、裸足の人がいるかどうかということが、一つの国の社会的な状況を表している、ということは言える。しかしどこの国にも変わり者はいるだろうし、寒くない国なら、裸足の方が気持ちよい、ということだったのかもしれない。
 昔フィリピンでスコールが来た時、雨宿りをしている私の眼の前で、突然鮮やかな赤い靴を脱ぎ、裸足になって駆け出した娘がいたことを思い出した。その靴は彼女にとって大切なものだったのだろう。だからどうしても濡らしたくなかったのだ。そしてスコールが来れば、町からは埃も犬の糞もゴミも洗い流され、涼しくて気持ちのいい浅い川さえ出現する。
 偉い人でなければ、いつでもどこででも、その方が気持ちいいなら、靴を脱いで雨の涼しさと水の気持ち良さをただで享受する自由がある。何とすばらしいことだろう。
 そんなことを思えたのも、私がバス路線を乗り間違えたおかげだ。バス代の損は百円未満。
 昨日書いたエピクテトスも、自分の身の上に起きたことは、たとえ願わしくないことでも、何かしら意味があることだと思え、と言っていた。まさかこんなにも早く、それが証明されるとは思っていなかったのである。
 



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