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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 規定と常識?「ナイフ持っていますか」  
コラム名: 自分の顔相手の顔 86  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/10/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日、ミャンマーからの帰り、関西空港から国内線に乗った。検査官の女性は私に、
 「ナイフを持っていますか?」
 と聞いた。
 「いいえ」
 と私は答えた。嘘をついたのではない。私はいつも小さな折り畳み式のナイフを携行しているが、それは機内持込みの手荷物の中に入れることにしていて、ハンドバッグの中には入れる習慣ではなかった。しかしその時に限って、前日、私はナイフを使った後、洗ってハンドバッグの中にぽんと入れてしまっていたのである。
 検査官はすぐ私のナイフを発見した。私は黙ってどうなるか見ていた。彼女は側の台についている物差しで「刃渡り」の寸法を計った。それから男性の職員の所へ行き、何か相談した。それから再び真剣な厳重さでもう一度ナイフの刃の寸法を計った。それから私は黙ってナイフを返してもらった。同行の人が説明してくれた所によると、刃渡りが規定の長さに達しなければ構わないのだ、ということだった。
 その時、私が見たドラマは、まさに常識というものが完全に欠けた、形式そのものの、子供っぽいドラマだったと思う。
 仮に私が機内でハイジャックを企て、その折り畳み式のナイフで人を刺そうとしたとする。先が丸くなったその刃先は、衣服を破り攻撃目標の肉体に入る前にぐにゃりと折れて、それを持っている私の指を切るような力となって働くだろう。そんなことは、ナイフを一瞬見ただけですぐわかる。
 それ以前に、そもそもこんな小さなナイフ一つに恐れをなして、すべての乗客が全くテロリストに無抵抗で言いなりになる、と考えているから、こういう検査を行うのである。日本刀を振り回されたら恐ろしくて、誰も武器なしには立ち向かえなくて当然である。草刈り鎌でも、私はちょっと怖い。
 しかしこんな小さな刃物なら、数人が立ち向かえば簡単に取り押さえられる。楯がなければ脱いだ上着を手に巻付け、それでこの小さなナイフと渡り合っても、傷は受けないか、受けても大したことはないはずである。
 暴力に抵抗することは危険だから、もちろん状況をよく見なければならない。しかし折り畳み式の果物ナイフ一つに、全く誰一人抵抗しないというシナリオをもとに安全基準を作るということは、つまり常識というものが全く欠如した愚かさを示している。
 一ミリたりとも規定より出ないように、二度も念入りにナイフの長さを計り直した女性検査官は、職務に忠実だと言いたいところだが、実はほとんど有効でない要素を盲目的に危険だと承認し、そのために心と時間を使っている。人はもっと常識に従っていい。一目見れば、これで人殺しが可能かどうかわかる能力が、常識というものである。
 



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