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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 正と邪?現世に因果応報はないが…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 179  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/10/05  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   横綱貴乃花が、かかりつけの整体師に「洗脳されて」という記事が世間に溢れるようになると、ことの虚実は別にして、兄が勝つか弟が勝つか、ということに別の興味を抱く人が現れるようになった。つまりどちらが優勝するかで、兄弟の正邪を決めようという感じである。
 弟が「邪悪な整体師」の言いなりになっているなら、勝つわけがない。或いは弟が勝てば、「きっとその整体師は、やはり自分が正しかった。だから勝てた、って言うんでしょうねえ」と気にしている。
 もう二十年近く前、私が少しややこしい眼の病気にかかって視力が急になくなった時、ある日夫は見知らぬ人から電話を受けた。どこかから、私の眼がもう書くこともできなくなっていると聞いたらしいその人は、自分の信仰している教団に入るように勧めた。そして私の一家は正しい信仰をしないからそういうことになったんだ、と夫に言った。
 夫はそれに対して、我々はカトリックだけれど、カトリックでは、決して現世で正しい報いを受けることを期待してはいませんから、と答えたというのである。
 これだけでは彼の意図を充分に表していない。夫は私たちが、正しい生活をしているのに現世ではひどい目に会っていて、ただそれは必ず来世で報いられるだろう、などと言ったのではないのである。私などすべての俗事を優先していて、信仰も信仰生活も二の次である。だからと言って、神は現世で必ずしもひどい目に会わせる、というような幼稚な罰は与えない、ということを言ったのである。
 神は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」というマタイによる福音書(5・45)の聖書個所を初めて読んだ時の感動は、今でも忘れられない。ああ神というものは幼稚でも狭量でもないんだ、と私は嬉しかった。
 その人が幸運を掴んだからと言って、必ずしもその人が善人だとか、正しい人だとかいうことはない。因果関係は少しはあるかもしれないが、完全に作動してはいない。反対にその人が悪運に見舞われたからと言っても、その人が罰を受けているわけではないのだ。
 勝負に勝っても負けても、それはその人の生き方の正しさや不正の結果ではない。関係は皆無ではないかもしれないが、運命はそれよりもっと深く見えざる手で導かれている。
 現世で正確に因果応報があったら、それは自動販売機と同じである。いいことをした分だけいい結果を受けるのだったら、商行為と同じことだ。それを狙っていいことをする人だらけになる。人がいいことをするのは報いがなくてもするという純粋性のためである。
 ただ時々、或る人が安らかで明るい死を迎えたというような羨ましい話を聞くと、ふと、あの方はいつも人のために尽していたから最期も安らかだったのかしら、と安直に因果応報を認めそうになる。
 



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