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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 読書?人生にどれだけ感動したか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 167  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/08/11  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本の教育がこんなにも荒廃した理由は、いくつも上げられるけれど、一つには本を読まなくなったからである。
 今の日本では、ものわかりがいい、と思われることが誰にとっても実に大切なので、子供も大人も漫画しか読まないとなると、すべての通達を漫画にしましょうなどと提案して、さも自分は新しい考えと思想の持主だと思われようとする。
 私は漫画もテレビも音楽も大好きである。活字ではなく、画像にした方が明らかに簡単で有効なこともたくさんあるからだ。「この先の道は狭くなっています」などという指示は、言葉より画像の方がどんなに直截かわからない。機械の使い方を図に示さずに文章だけで伝えるなどということもまた、ほとんど不可能に近い。
 しかし活字が与える創造力・想像力もまた途方もなく大きい。一つの文章から、読む人は一人一人が全く別の思想、別のイメージを持つ。それが個性というものだ。その方面の個性の開発も、また重要なのである。
 しかし今は先生も親も活字を読まない。考えてみれば、昔だって本嫌いの子は常にいたものだ。しかし親や教師は、本を読まないことは、恥だと教えたのである。私は今でもそうだと思う。自己の世界の開発をしていない、という点で、活字の読書をしないことは明らかに怠惰なのである。
 せめてこの夏休みに、何冊かの本を読むことを義務づけている学校はどれくらいあるのだろう。そしてまた先生たちも、普段忙しいことはよくわかっているが、どれほど読んだ本の感激を生徒たちに語ってくれているだろう。そして親たちの中にも、美容院で手にする週刊誌を読むだけでは、脳ミソが錆びつきそうだと感じる人がどれだけいるのだろう。
 数日前に、ギリシア生まれで、イギリスに住む人と、東京湾に望む海辺のレストランのテラスで、ほんの五分くらい語り合うことがあった。きれいな三日月が見える夜で、そのせいかたった五分の間に、私たちは、自分たちの生い立ちの一部を分け合った。
 この人の妻はオランダ人で、夫妻はロンドンに住み、子供が休みになるとすぐ、ギリシアのデルフィの近くの別荘へ行くと言う。息子は、英語とオランダ語とギリシア語を話し、三つの国を母国と感じるようになってくれた、と嬉しそうであった。
 ただどこの町でもいいけれど、いい本屋のない町では暮しにくいですね、というところで、私たちは意見の一致を見た。
 音楽でも深く感動する。書物でも胸が高鳴る。理由は同じである。人生を発見して、自分が深くなったような気がするからである。それは錯覚かもしれない。しかし自分を深めるのは、学歴でも地位でもない。どれだけ人生に感動したかである。それには子供の時から読書の習慣もつけなければいけない。今の教育はやるべきことをやっているのだろうか。
 



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