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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: リヨンを見ず  
コラム名: 私日記 連載19  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/08/03  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年七月七日
 朝九時半、ボリビアのサンタクルス発、マイアミ経由でパリに向かう。マイアミまでの六時間の間に、「新潮45」の連載分十五枚を書いた。時差を計算するとパリヘ着いてからでは遅いので、何とかマイアミ空港での待ち時間を利用してファックスで送りたい。これで十二時間くらいは早く原稿を送れる筈である。
 幸い日本財団からの二人の若い男女職員(どちらもスペイン語要員)が、空港の待合室へ行くや否や、備えつけの器械でやってみてくれた。テレビゲームのようである。やっと送れてクレジットカードに対する請求書を見たら二十四ドル。帰ったらニフティを開くように勧められる。
 マイアミで日本へ帰る組とお別れ。犬飼カメラマンと私だけがパリヘ回る。
 七月九日
 やっとパリで一日の休暇。
 ボリビアの埃で汚れた髪を近くのラファイエット(デパート)の中の美容室へ行って洗ってもらう。ピエールという老眼鏡を鼻のあたりにずり下げた美容師がよく覚えていて、「ペルーはどうだったか」と訊く。彼の好みで、髪をちょこちょこ切られ、その間に四方山話。パリのホテルはあまりにも高いので、観光客はパリには最低限しか泊まらない。皆、安いギリシャに行ってしまうとぼやく。広い美容室の中に、そう言えば日本人らしい客は一人もいない。
 日本のホテルも高いけれど、パリのホテルの高さは異常である。うちの財団など、世間体にとらわれることは一切必要ないのだから、今後はもっと代理店や日仏財団の機能を使って、実質的な安いホテルを探し、かつ職員の外国出張の規定を厳しくしようと思う。
 二十代の職員が、飛行機のビジネスクラスに座って、シャンパンを飲みキャビアを食べていては、世界の実情はわからない。もちろんキャビアもシャンパンも、航空会社が出しているのだが、これからは内規を改定して三十九歳までは世界一周といえどもエコノミーで、隣の出稼ぎ移民とも言葉を交わし、常に世間を知るようにさせなければならないと思う。私は人から嫌がられ憎まれても、財団を健全で強力な体質に変えて去るのを任務と思っているから、何でも言えるような気がしている。私自身、四十代まで、飛行機はエコノミーに乗るものと決めていた。
 ピエールに、観光客の行かない魚料理の店を教えてもらう。パリで合流した秘書室長の星野妙子さんと犬飼カメラマンの取った魚のフライは、ホッケの開きくらいある。どうしてヨーロッパ人はこうたくさん食べられるのだろう。
 七月十日
 パリからリヨンヘ。元首相バール氏(現リヨン市長)と中曽根元総理が双方の代表となっている「日仏フォーラム」に出席するためである。
 ホテルに入って一時間後には、もう日本側の打ち合わせ会。その後ミニ・ヴェルサイユのような市庁舎で夕食。天井の絵のデコレーションの部分に、生涯で一度も見たことのないオレンジ系のローズ色を見る。
 七月十一日
 朝から夕方まで、ホテルで会議。座長はバール氏自身で、中曽根氏同様、大変頭の整理のいい、しかも気配りのある方だが、政治家とはこういうものかという面が時々ちらりと見えておもしろかった。
 とにかく、一日中会議。終わると服を着替えて、オペラ・ハウスでケント・ナガノという二世の指揮者の指揮で、武満徹氏の曲とビゼーを聴く。その後、最上階の新しいドーム型の広間で、十一時半まで晩餐会。
 昨日は市庁舎のバルコンから下弦の月を見た。眼の下には有名なテラウの広場が広がっていた。
 しかし私の仕事では、会議から何かを得たということがない。会議によって人を説得させられると思ったことは一瞬もないし、会議によって人生を発見したこともない。文学者の会議とか共同の宣言などというものは私にはことにその存在理由が考えられない。小説家の闘いは、一人でそのことを文学に書く。それだけだ。政治的な或いは物理的な世界は、世界を全く文学と逆の方向から見ている。それがお互いの特徴であり使命というものだ。
 リヨンに来て、リヨンを全く見ずに寝る。ここは、だまし絵(トロンプルイユ)の発生地で、ベネディクト会の修道院があったところで、若い日の遠藤周作氏が学ばれた町だというのに。
 七月十二日
 朝の新幹線でリヨンからパリヘ帰る。そのまますぐエリゼ宮でシラク大統領の招宴。
 カクテルを出される部屋でルイ十四世時代のみごとな絨毯を見る。コプト的な人の顔など、視線まで生きている。毛足はもともと短いのだそうだ。庭に面した部分の色が二百年も全く褪せていないのはどういう染料を使っているのだろう。その上を給仕人の靴とモーニングの裾が無雑作に動く。
 夜は私たちだけで、セーヌの右岸七区の安食堂でほっとするようなおいしさの小母さんの手料理を食べる。長らく男やもめを続けていると思われる男が、犬を膝に一時間もいっぱいのビールを飲んでいた。
 



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