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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 特権と堕落?世間への義務なぜできぬ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 85  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/09/30  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨日、宗教について書いたので、もう少し続きを書きたいと思うのだが、宗教法人に対する厳密な会計報告と公表の義務づけが、どうしてできないのかと思う。
 私は日本財団というところで働くようになって間もなく二年になるが、その間にわかったのは、法人では、いかなる厳密で細かい会計報告も全く問題なく公表可能だし、また世間に対して当然その義務を負う、ということである。
 私たちの財団が補助した先の仕事が、百パーセント確実で有効だったということはない。しかしどんな失敗例でも、はっきりと原因や経過を説明し、公表し、それによっていかなる対策を立てようとしているかを言えないことはない。これはNGOだろうが、ODAだろうが全く同じだろうと思う。
 私たちの財団には、会長の機密費とか交際費とか言うものは一円もないが、それも当然のことで、不自由を感じたこともない。必要な出費は堂々と出して貰うだけで、それは誰に向かっても隠すことはない。
 私は財団の仕事の結果を抜き打ち検査するための通称「忍者部隊」を会長直属の機関として作ったのだけれど、それは対外的に忍者の固有名詞を発表しないだけのことで、内部的な予算上、何一つ秘密はない。
 宗教法人が免税でありながら、収支についての細かいところまで明確な報告の義務を持たないということは、どこから見ても理屈の通らない特権である。国家は宗教的な法人の行為は、それが法に抵触しない限り完全な自由を認めるべきだが、その収支を掴み、お金の出入りを公表する義務までを免じる理由はどこにもない。正当な宗教法人なら、それができないという理由はないはずである。
 かつて戦争中、国が宗教法人を弾圧したことを理由に、税法がいささかでも宗教法人の内部に立ち入ろうとすると、すぐさま信仰の自由の弾圧だなどというのもおかしい。
 地方に行くと、宗教人の堕落の話がいくらでも聞ける。タクシーに乗れば、こちらがもちかけなくても、運転手さんたちが積極的に喋る。宗教法人が建物の改築費用を、出入りの業者に頭割りで請求して、皆泣いているという話など、私の小説家のウソつきの技術をもってしても、とても作れないほどリアルである。
 ほんとうは今こそ、宗教人がするべきことは山のようにあるはずだ。信仰があると、世俗に抗しても、やるべきことはわかっている。証券会社が右へ習えのように暴力団にお金を出していたかもしれないという容疑なども、世間に抗する勇気もなく、自分たちのあるべき姿が見えなくなっていたからだ。
 もちろんいつも私が実感しているように、私も他の個人も、理想を追い続けられないことはよくある。しかしお金の収支を公表できない宗教法人などあるわけがない。特権は堕落を生む、という図式通りである。
 



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