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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 子供の頃?家族と共に生きる自覚を  
コラム名: 自分の顔相手の顔 114  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/01/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   シンガポールで発行されている新聞「ザ・ストレイツ・タイムズ」の一月二十一日付けには、一枚の愛くるしい少女の写真が掲載された。
 ホエル、四歳。彼女は日曜日になると、ボリビアの首都・ラパスの中央広場で靴磨きをしている。独特の金物の足台の上に載った男の靴を、彼女はかがみこんで一生懸命長い布で拭いている。その道具とスタイルだけはいっぱし玄人風である。
 客の顔は見えない。しかし彼はどう見ても、金があり余った旦那で、威張って子供に靴を磨かせているとは思えない。よれよれの作業ズボンにはペンキかオイルがついたのではないかと思われる染みも見え、腰には命綱の端っこみたいに見えるベルトの末端が垂れ下がっている。靴の踵(かかと)も減っている。
 先頃ボリビア政府は、五十万人の子供が、町でなんらかの仕事をして稼いでいる、と発表した。私も世界中で、どれだけ働いている子供を見たかしれない。交差点で車が止まれば、頼まれもしないのにさっと窓を拭くことを商売にしている子供はどこにでもいる。新聞、チューインガム、花、宝籤(くじ)、パンなどを売る子供は、「先進国」以外はどこにでもいる。交差点の車の中に入って来て商売をするのだから、日本だったら考えられない危険な仕事である。
 もちろん稼がないで帰れば、折檻される子もいるだろう。しかし勉強の嫌いな子にとっては町で働くのはそれほど嫌ではないし、彼らは決して「荒れて」いない。彼らは自分の働きで家族が生きられることを知っているから、誇りに満ちている。日本で暴力を振るう子供のほとんどは、家で大切にされ、お客さん扱いにされているだけで、家族が生きる運命を自分も共に担っているという光栄を自覚したことなど一度もないのである。だから暴力でも振るってみせて、オレはこれほど力があるんだぞ、と示す他はない。
 私の子供の頃でも家事を手伝うのは普通だった。門の前を掃く。トイレの掃除。お風呂焚(た)き。どれも家にいる限り子供の私の役目だった。学業もできないほど、子供を働かせるのは確かに望ましくない。しかし今の日本のように子供をお客扱いにするのも、同じくらい悪い。子供が家事を助けるのは、子供の成熟を促すし、子供に人生を理解させる上で大切な方法である。
 世界的に見て、総じて田舎に住む子供は、家畜の世話、農業の手伝い、稲こき、米つき、といったもので働くだけで、現金収入は得られない。都会の子供がこのホエルのように現金の小銭を稼ぐことができる。
 こういう写真を見ると、日本人はすぐ、こんな可哀相な子供に、大人がふんぞり返って足を出して靴を磨かせるとは何事だ、という反応しかできない。しかしおそらくこの貧しげなズボンの主は、なけなしの金を出してホエルに靴を磨かせてやっているのだ。そういう優しさを日本人は理解できないのである。
 



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