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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 老年?執着や俗念への別れのとき  
コラム名: 自分の顔相手の顔 276  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/10/04  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私はペットに溺れるような愛情を注ぐという優しさに欠けているので、うちで生まれた猫なのに、誕生日も、年齢も正確に覚えていなかった。数年間、「うちの猫はもう十九歳か二十歳なんですよ」と言い続けていたら、先日、猫が涎をやたらに出すようになった。
 もう年だ、と決めて掛かっていたが、ふと気がついて近所の獣医さんで歯石を取ってもらったら、涎はきれいに解消したのである。
 しかしショックだったのは、飼い主がかくも冷たいのに、その獣医さんにはこの猫の子供の時からの記録が残っていて「ああ、ボタちゃんですね。今年二十三歳になるなあ。大したもんだ」と言われたそうで、私はほんとうに恥ずかしくなった。猫の二十三歳というのは、きんさん、ぎんさん以上の長命ということになるのかもしれない。
 言い訳をするわけではないが、私は自分のを含めて誕生日だの命日だのに実に関心がない。その人の生きていたこと、亡くなったこと、言ったこと、優しかったこと、憎らしかったこと、すべて大切に記憶しているが、それが何年の何月何日だったなんて、どうでもいいことだ、という感じが抜けないのである。
 ボタ(お尻の格好が悪くてぼたっとしているので、そういう名前になったのだが、命名は南アフリカ共和国のボタ元大統領が世界に知られる以前の話である)は赤ちゃんの時手塩にかけてくれた人が、それこそ猫かわいがりをしたおかげで、キャットフードなど全く見向きもしないように育ってしまった。ぜいたくな限りだが、一番安い鶏肉とかつおのなまりと牛乳だけで生きて来た。私の家ではどれだけ安い鶏肉を買うかが、毎日の関心事なのである。
 それでもボタの舌と鼻はすばらしいもので、三日目になった鶏のささ身はもういやがって食べない。冷蔵庫の匂いがついてしまうのだろう。私は料理だけはこまめにするので、ボタの餌を作る時も、古い鶏肉は湯引きにして、鉄で小さく小さく切って食べさせる。なまりはちょっと火で焼く。すると数日経っていても、香ばしくなって喜んで食べる。
 しかしこんなことをしながら私の心理は複雑だ。世界中には鶏肉なんて食べられない子供たちがタンパク質不足に陥っていて、体中に浮腫が来ている。猫にこんな生活をさせていいものだろうか。
 ボタが死んだら、私たち夫婦はもう動物を飼わないだろう。ペットのために遺産を残して死ぬ人も多いというが、次の猫が二十三年も生きたら、私たちはもう最期を看取ってやれない。
 老年は単にものを捨てるだけでなく、一つ一つ、できないことを諦め、捨てて行く時代だ。しかし諦めとか決別とか禁欲とかいう行為は、人間にとってすばらしく高度な精神の課題である。
 老年にはすることがないのではない。そういう執着や俗念と闘って、人間の運命を静かに受容するごとは、理性とも勇気とも密接な関係にある行為であるはずだ。
 



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