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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 震災復興?慰霊祭よりもっと必要なこと  
コラム名: 自分の顔相手の顔 211  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/02/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一月十七日の阪神・淡路大震災の日には、慰霊祭などの記念行事のことがたくさん報道された。もちろん死者とその遺族の悲しみが深いことは当然だが、震災の死であろうと、病気による死別であろうと、家族が喪失の思いで苦しむのは同じである。
 復興いまだならず、という趣旨の報道もあったが、私はよくもここまで、関係者が努力して素早く元に戻された、と思う。ものによっては以前よりよくなった、とさえ思う。もちろん被災者が今より少しでも暮らしがよくなることに全力を上げるべきだが、誰の生活もまたどこかに不満はあるものだ。
 仮設住宅は音が煩(うるさ)い、遠い、暑くて寒い、と文句を言っていた人たちが、恒久的な復興住宅に入ると、前の仮設の長屋的生活の方が親しみがあってよかった、今の生活は寂しい、というのは少しわがまますぎるだろう。被災者でなくても、老人になって孤独や不便や病気や悲しみを抱えて暮らしている人は、いつでもどこにでもいるのである。
 お湯と水が出て、雨が漏らず、一応寒さも防げ、自分専用の炊事洗濯入浴トイレの設備がある家などというのは、世界的にはまだ大ぜいたくの部類に属するということも理解した方が幸福になると思う。災害がなくても、二十世紀中ずっとこれ以下の生活を国民に強いていた国と政治体制の方が世界には多いのだから。
 もちろん大震災を軽く言うわけではないが、戦争よりひどい、というのも少し間違った判断だと思う。地震も戦争も、共にひどいものだった、のだ。
 戦争の時も一夜で多くの人が火に焼かれ、爆撃の犠牲になって死んだ。震災は日本中が麻痺(まひ)しているのではないから、数十時間経れば、救援の手も物資も集まって来ることは目に見えている。しかし戦争の時は事態はいつ終わるともわからなかったのだ。食料・物資全般の不足、結核や栄養失調、身近な人々の戦死による労働力の不足。それらは国家全土を覆った病状で好転のきざしはどこにもなかった。助けに来てくれる人も物もなかったのだ。お互いに自分の受けた被害が一番ひどいと思うことだけはしない方がいいのである。
 災害を教訓にして、今度再びこういう天災が起きた時、少しでも社会の協力で、人々の命と幸福を守れるノウハウを作ることが大切だ。いつまでも慰霊祭を繰り返すことより、もっと実質的な研究や動きが必要だろう。
 ボランティア組織の活用編成法。見舞い金の分配法。土中に埋まった人を探し出す救援犬の養成。崩れた家屋の下から助けを求める小さな声を聞くために、災害地では報道用のヘリや飛行機の飛行禁止。救援を求める地中の小さな声を捉えるために、毎時〇分から五分まで、三十分から三十五分まで、というふうに三十分毎に五分ずつくらいの重機やサイレンや会話の沈黙時間を作ることも必要だ。静寂が人の命を救うこともあるだろう。
 



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