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ヨルダン王国のアブドラ国王陛下とラーニア王妃をお迎えして十二月二日に行われた小渕総理夫妻主催の晩餐会で、私は王宮儀典長のファイサル・エル・ファイーズ氏の隣席だった。一人おいて右側にはカスラウィ駐日大使夫人もおられ、私は今年もヨルダンヘ取材で入った時の印象をお話したりした。 私がもっとも印象深かった遺跡は、イエス誕生の頃まで、今のイスラエルやヨルダンの一部を領有したヘロデ大王が、死の直前に回復に望みをかけて滞在したカリエロの温泉の跡だった。ヘロデ王は妻一人、息子三人を自分の手で殺した人物である。私は今その小説を連載中なのである。 光溢れる死海に面したこの温泉は、今では荒れ果てた村だが、当時のヘロデ王の離宮の豪華さを忍ばせる船着場の跡がはっきりと残っている。村の道端を流れる溝の水は、触れてみると今でも上流から流れて来る温泉で温かい。 「どうしてもっと温泉つきのホテルをお作りにならないのですか。日本人観光客の温泉好きはご存じでしょう」と大使夫人に言うと「観光・遺跡相もいっしょに来ておられますから、よく言っておきます」と頷いておられた。 総理のスピーチはなかなか酒脱なもので、この若い王は、庶民の生活を知ろうとしてヒゲをつけて変装したり、タクシーの運転手になりすましたりして、町に出ておられたこともあるという。 私は儀典長に、私の窺い知る範囲での話だが、日本の皇室は適切なだけの品位は失わず、しかし質素にお暮らしだということを話した。豪華であるより、簡素さの中に日本人は美を感じるのだと説明すると、儀典長はヨルダン王家も同じだ、と言われる。殊に亡くなられたフセイン国王は本当に素朴な暮らしを好まれた方だという。 シリアやヨルダンなどという地方はもともと砂漠の遊牧民の文化を有していた地方だから、どんな指導者といえども、その基本においては、テントをたたんですぐに移動できる遊牧民の精神と簡素な生活様式を伝統的に持っていたはずである。 この晩餐会の数日後に、毎日新聞(編集部注=東京本社発行分)が「小渕総理、ヨルダン国王にリンゴを贈る」という小さな囲み記事を載せた。それによると、このアブドラ国王は国賓として滞在中も銀座の老舗の果物店で信州産のりんご、フジを買い求め、その甘さを褒めておられた。国王は東京でもお忍びをされたことになる。 それを聞いて、小渕総理は直接産地からフジを取り寄せて国王にプレゼントした。 「国王は大使館の関係者などに『大変おいしい』と甘さや食感を絶賛する一方、『値段が高い』とこぼしてもいたという」 よく言ってくださいました、という感じである。りんごの値段を高い、と言える王は、若い世代としてまっとうな奢らない感覚をお持ちだ。それを率直に言えることこそ、王子として育たれた方だという気さえする。
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