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イタリアではあちこちで、岡のてっぺんに町を見る。聖書にも「岡の上の町」という表現があるから、中近東からヨーロッパまで、古い町は岡の上に造るものとされていたのだろう。 あんな所で水はどうしているのだろう、と私は真先にそのことが心配になる。谷の低いところに沿って家を建てれば、飲み水にも、「かわや」(文字通り水洗トイレ)にも不自由しないだろうに、と思う。しかし高い所に町や村を作るには意味があるのだ。町や村全体を城塞と見なし、外敵を防ぐのである。 修道院も、キャラバン・サライと呼ばれる昔の隊商宿も、基本の形は真四角い高い塀を持った刑務所的な造りである。一面にだけ頑丈な大戸がついていて、そこから関係者が出入りするが、日暮れと共に閂(かんぬき)を閉める。文字通り夜盗を防ぐのである。 宗教家でも人を信じないのですか、という人がいるが、自ら防備をしなかったら信じる前に殺されてしまうのだ。 町イコール城塞、などという意識は日本人には皆無である。時代劇を見ていると、江戸の町人は戸閉りをして寝ていたらしい。しかし昭和の初めでも、日本の田舎では戸も閉めず、夏など屋敷の中が丸見えになるほど開け放って寝ていた。 敵とは闘わねば、自分と家族の生命も財産も守れない。だから闘うことがすべて悪いことであったりするわけがない。しかし敵も又人の子だ。家族もいるし空腹にも悩む。だから「いい人だから助ける」のではなく、しかるべき時が来たら、憎むべき敵でも致し方なく助ける。この分裂した心をキリスト教は高く評価した。 いい人なら自然に好きになれる。しかし好きな人を愛したからと言って、どれほどのことでもない。それは母親が自分の子供をかわいがることに似ている。もちろん子供はかわいがることがいいに決っているが、それは苦悩に満ちた偉大な行為でもない。 敵であれば見捨てたいところだが、それを意志と理性で助ける。この分裂した意識こそ「愛」である、とキリスト教は定義した。裏表のない人間がいいどころか、せめて人間なら裏表を持て、ということなのである。 身障者を混えた私たちのグループは、やはり城塞の構造を持つ聖フランシスコ大聖堂が夜空にそそり立つアシジの町を、朝六時前に出発した。小鳥は夜明けを告げて、鳴き始めていた。しかし空にはまだ半月が浮かんでいた。 体が不自由な人たちだから、バスに乗り込むにも時間がかかる。車椅子の人は、男性たちが数人がかりでシートまで抱き上げる。でも爽やかな出発だ。バスが走り始めると、女性のガイドさんが言った。 「さっき皆さんがくぐって来られた町の門は、昔は日没から夜明けまでは盗賊を恐れて閉められていたそうです。昔だったら私たちは特別許可を求めないと町から出られないところでした」
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