|
フジモリ前ペルー大統領が、日本の主なテレビ局に会うと突然言い出されたのは、十一月二十五日土曜日の午後九時である。フジモリ氏は、私がもう三十年以上過ごしている週末の家で、義弟の元在日ペルー大使・アリトミ氏夫妻とようやく遅い夕食を上がっていた。 フジモリ氏はその時間までに、全国紙との三十分ずつの個別のインタビューをすべて終えていた。このインタビューも当日の午後三時から急に思いついて、私が手配したものであった。私は元ペルー大使館員でもなければ、大統領辞任後にエージェントになったわけでもない。ただ大統領も大使も日本語がそれほど達者なわけではない。私は日本語ができる上に有能な秘書がいて、各テレビ局の電話番号などすべてを調べあげることなどには馴れていたから、電話係をつとめただけである。 どのテレビ局から電話をかけるか、インタビューの時間は明日の何時からかも、すべてフジモリ氏の指定であった。その局に知人のある方は、ご指示通りその人を呼んだ。 しかし中には、大統領も大使館も全く誰も知人のいないテレビ局があった。そのため、私はいきなり電話をかけて各局がどう反応するかを、つぶさに見ることになった。 私はどの局にも同じ言い方をした。 「私は曽野綾子と申しますが、フジモリ前ペルー大統領が単独会見をしたいとおっしゃっておられますので、外信か外報部におつなぎくださいますか?」 或る局の女性のオペレーターは言った。 「どういう内容ですか」 「ですから、今申しあげた通りフジモリ大統領が単独会見をしたいと言われますので」 「どういうことを話すんですか?」 「それはわかりません。私が話すんではないんですから、内容はわかりません」 「内容がわからないことには、電話はつながないことになっています」 「ああそうですか。それなら結構です」 電話は向こうからガチャンと切られた。私には怒りの感情は全くなかった。ただおもしろいなあ、と思っていたのである。 もう一局にも、私は全く同じ台詞を繰り返した。電話口に出た男性はまことに不機嫌でペルー情勢に関してもほとんど知らないようだった。そのあげくに彼は尋ねた。 「あなたは大統領とどういう関係ですか」 私は再びこの質問のおもしろさに絶句した。 私は大統領の友人でもない。幼なじみならともかく、大統領というような立場の人と、一作家が「友人」になるということは(あり得ないことではないかもしれないが)まず考えられない。仕事を通しての知人です、と答えたら、これもまた奇妙なことだった。知人でないなら、電話を代わってかけることもないからである。私はこうした日本語のおもしろさに感動していた。それで少し疲れはしたが、気分は全く穏やかだった。電話を終わったのは午後十一時であった。
|
|
|
|