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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 最高の旅?人生開眼者の軌跡に触れる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 139  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/04/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   十五年間続けている障害者、高齢者、壮年と若者の混成部隊で行く外国旅行に出て来た。総勢八十四人、今年は人が恐れて寄りつかないエジプトから入り、ヨルダン、イスラエル、イタリアを廻る。車椅子は六台、視力障害者は軽い人重い人取りまぜてだが六人。
 この旅行には受ける方の制限はない。どんな症状の人でも「死んでもいいから行きたい」という人は、過去に何人も受け入れた。立派に判断力を持った大人が良識をもって自分で選んだ運命は尊重するのが当然だろう。「もし万が一のことがあって、後で訴えられたらどうするんです」と警告してくれる人もいたが、そうなったらそうなった時のことである。
 しかしおもしろいことに、世間が危険を予想するような高齢者も病人も、今まで一人も死ななかった。前回の旅には、九十六歳の女性が来られたが、孫のような青年に抱きかかえられて、ラクダ乗りを三十分も楽しんだ。ラクダは、その乗り心地が全く「ラクダ」じゃなくて、元気な人でも途中で降りたくなっていたのだから大したものである。
 今度も、八十三歳の全盲の女性が、シナイ山へ登った。八合目まではやや平坦でラクダに乗るという手もあるが、そこから頂上までは最終的に約九百段のごつごつした不揃いで足場の悪い石段を登らねばならない。下りは日本財団から参加した青年がおんぶして下りた。これも快挙である。
 二十代前半の若者と、八十歳代の人たちとが、同じグループを作って同じ人生の数日を暮らすなどということは普通にはないことである。全く同じ旅費を払って、一部の人はいつも重労働をして車椅子を担ぎ上げる。高齢者でも車椅子の人でも眼の不自由な人の隣に座れば食事の介助をする。盲人は空港などで働く人たちの荷物の番をしてくれる。夜、体の不自由な人と同室になれば、入浴の手伝いもする。
 こういうシステムを、旅に出てから嫌だと思った人もいるかも知れない。タダで他人の世話をさせられるなんて割に合わないと感じている人もいないではないだろう。しかし九十パーセントの人たちが、与えることも受けることも、同じように楽しいと感じる。ここでは平等とか人権などという言葉はいかに色褪せた空疎なものかがわかるだろう。人権や平等の思想ではとてもカバーし切れない、不思議な人間的な幸福感、愛の充足感が存在することがわかるのである。
 最大のぜいたくは、八十四人の人たちがそれぞれに手応えのある人生を担って歩いていて、それを同行者がわけてもらえることだ。病気も老いも死別も不幸も孤独も、願わしいことではないが、その地点から立ち上がった人たちが一種の奇跡的な人生への開眼をして、全く違った価値観で生きるようになる経過を、こういう旅では自然に見せてもらえる。たぶん教育とは、こういう温かで自然な形で行われる、知性と感情が共にゆさぶられることであるはずだ。
 



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