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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 長編小説?もてる女になりたかったら  
コラム名: 自分の顔相手の顔 216  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/02/22  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イタリアに住んでいる女友達が、この頃私の顔をみる度に「何とかならないの?」としきりに言う。彼女はミラノに住んでいるのだが、日本人の買い物客がイタリア人の間で顰蹙(ひんしゅく)と侮蔑(ぶべつ)をかっているのだという。
 ブランドもののハンドバッグは一個数十万円もするのだそうだが、そういうハンドバッグを売っている有名店の前で、朝の開店前から待っている。開店と同時に店に雪崩込んで買いあさる。売り切れると、次にできるのを「お願いして」売って頂く。
 ヨーロッパの生活は慎ましくて、若い娘たちは、決して高いハンドバッグなどは買わない。十万円を超えるようなハンドバッグは、「マダム」の持つものだそうだ。
 しかし土地の娘たちもマダムたちも、それぞれに自分なりのお洒落をして存在感を示している。ことにマダムが美しい、ということで、私と友達は意見が一致した。若さだけなら、どんなにお肌の手入れをしていても、若い娘たちの方がきれいに決まっている。しかしマダムたちの魅力は、容貎と若さを越えたものなのである。
 美しさの要因は、その人の絶対的な存在感だと言ってもいい。その人が、自分の過去の中で、喜び、悲しみ、裏切られ、愛され、失敗し、幸運を感謝し、多くの人に出会い、たくさんの人生を語り合って来たからこそその人に備わってきたと思える、静かで強烈な個性である。個性そのものは、善でも悪でもない。ただ限りなくその人である、というだけのことだ。それだけに、その人がそこにいる、というだけで、空間も心理も充たされる。その人がそこにいなくなったら、もう誰も後を埋めることはできないのだ。
 私くらい年を取って来ると、目の前の人がどれだけおもしろい長編小説に見えるか、ということでその人を計っているところがある。繰り返すようだが、長編小説というものも、筋や内容は善でも悪でもない。
 ブランドものを買いあさる日本の娘たちは、もちろんお洒落をしたいからハンドバッグに執着するのだが、ほんとうにもてる女になりたかったら、自分独自の経済状態の中で無理のないお洒落、自分独自の世界観、自分独自の話し方ができなければだめなのだ、ということを全く知らないのである。昔はそれを教養が必要だという言い方をした。しかし今、私は常識的教養などなくても、魅力的な人物というのはいると思う。しかしいずれにせよ、人の真似をしているうちはだめなのだ。
 私と友達が歩いていると、目の前に、冬なのに夏のようなヒールの高い靴をはいて、しかもサイズが合わないのか、よたよたと歩いている日本人の娘がいた。
 「新しい靴をはいてみたい気持ちはわかるけれど、自分の足に合ったスニーカーをはいて颯爽と背中と膝を伸ばして歩けばきれいなのにね」
 と彼女は小声で言った。
 



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