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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 海の大国・インドネシア記(3) 巷談・ジャカルタの今  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/08/22  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  伝統的哲学「ンガソラケ」
 インドネシアには、ご縁があって二〇〇〇年の二月に続き、七月にもジャカルタに出かけた。インドネシア第四代大統領、アブドゥル・ラフマン・ワヒド氏(この国の通称はグス・ドウル、日本での呼称はワヒド大統領)と朝食の約束が取れたからであった。視力障害と歩行困難のハンディを負う大統領は、やや、お疲れのようでもあった。それでも「心配ない。大丈夫、大丈夫」と言っていた。この国の将来についてである。
 その翌日、幸運にもワヒド氏と並んで、イスラム主義指導者として名高い、近代主義イスラム組織、国民委託党(PAN)総裁、アミン・ライス氏と会見する機会があった。「大丈夫じゃない。心配だ。私の大先輩にそんな事を言っては、失礼にあたるかも知れぬが、彼は問題解決のKnow Howに乏しく、将来の国家Visionが明確でない。もしジャカルタが、インドネシア政治の求心力を失ったら、エライことになる」と言った。
 たしかにその通りであろう。だが、この読み物のテーマは、まだ見えてこないこの国家の政治的将来を論ずることではなく、「いま、ジャカルタの巷では」を素描することである。
「ジャカルタの街は、一発デモが起こると、交通がマヒする。都市の目抜き道路のほとんどすべてがロータリーに集結し、迂回路がほとんど存在しないように設計されているから……。だから、あまり綿密に要人とのアポイントメントを取っても無駄になる」。出発前、インドネシア通にそう言われた。しかし、今回は、ジャカルタの道路交通事情は思いのほかスムーズであった。
 スカルノ・ハッタ空港から、ダウンタウンのホテルヘ、旅行案内書にある通り、二十五分きっかりであった。海とほとんど同じ標高ゼロメートルの水郷地帯が沿道の両側に広がる。「水田か?」と思ったら、巨大なエビの養殖池だった。
 潮が満ちると海水が入ってくる。だからエビはよく育つ。Black Tigerという名の車エビで、日本の大衆食堂の天丼の食材として大量に輸出されている。三々五々、岸に人々がしゃがみこみ、のんびりとエビを釣っていた。養殖業にしてはいかにも悠長なエビの収穫風景だと思ったら、失業者たちがエビの盗み獲りをやっているのだという。
「政府の統計では、失業者は二五%だけど、この国では定職もなくブラブラしている人が労働人口の四〇%はいる。いざとなったら、バナナを食えばよいのだから、仕事がなくなって飢え死にする人はいない」。同行の国際政治学者、白石隆氏の説である。そういう労働事情のお国柄だから、人を雇うなら、より取り見どりかというと、正反対である。ジャカルタのソニーの労働争議の話が現地の新聞紙面を賑わしていた。合理化の為に腰掛けてやっていた作業工程を立ったままやることに変更したら、たちまちにしてゼネストが起こり、日本側はびっくり仰天。「ジャワ人の誇りを傷つける」と一斉蜂起したのだという。ときには職を賭してもプライドを守る。ジャワ人と闘うなら、相手を恥ずかしめずに勝つことを考えねばならない。それを現地語で「ンガソラケ」というのだそうだ。
 こんな複雑で、屈折した心理にかかわる行為を、ひとつの単語で、言い表す言葉があるとは、ジャワ人とは面白い民族だ。ワヒドさんは、スハルト元大統領に対する対応の仕方も、ジャワの伝統的哲学、「ンガソラケ」をやっているらしい。大統領は、「スハルト氏が有罪になっても恩赦を与える」と語って、不正蓄財の任意返還を繰り返し促していると現地の新聞が報じていた。彼一流の混乱回避の戦術である。
 スハルト元大統領のジャカルタでの評判は極めて悪い。独裁と恐怖政治、そして肉親へのエコひいき、四百五十億ドル(通貨危機の際のIMF援助に匹敵する)もの私財のため込み??。普通なら、大デモの二つや三つ起こっても不思議ではないのだが、保守派イスラム総本家の創始者の直系の孫である大統領の「ンガソラケ」のお手並みを、とりあえず見守っているのだろう。
 
「憂きわれをさびしがらせる閑古鳥」
 自宅軟禁中のスハルト氏は、今何をしているのか。「ニュースなんか見ても頭にくることばかりだから、ディスカバリー・チャンネル(米国製作の科学、冒険、地誌の専門チャンネル)とラワック(インドネシアの笑劇)をTVで見ることで一日を過ごしている」とあるジャカルタのジャーナリストが教えてくれた。
「スハルトの腹違いの弟のやっているレストランに行きましょう。一九九七年の彼の失脚前、大臣、政治家、大商人、外国人でいつも超満員だった中華料理の名所でした。それが、いまどうなっているか。実地に見聞してはどうです」、インドネシア通の白石教授が誘ってくれたのである。
「Summer Palace(夏宮)レストラン」と行き先を告げたら、ホテルの車の運転手はすぐうなずいた。ジャカルタの高級住宅街と下町の境のとあるビルの五階であった。「それほど有名なレストランなのか」と思いつつ、店に入ったら昼食時だというのに閑古鳥が鳴いている。「憂きわれをさびしがらせる閑古鳥」(芭蕉)。「有名」ではなく、「有名だった」のである。二百席はあろうと思われる豪華で広い店内に客は四組しかいなかった。この商売不振の光景を、スハルト氏が見たら、前出の芭蕉の句と同じ心境になるに違いない。
 だが、この店の料理は最高で、しかも安く、従業員のサービスも満点だったのである。なにしろヒマなのだから、三人のわれわれの卓で、三人のウエイトレスが給仕の仕事に従事した。これでは人件費だけで赤字になること間違いなしだ。料理は特上である。ジャカルタは、マレーシアやシンガポールよりも、華人の移民の歴史ははるかに古い。だからもともと中華料理のうまい都市なのである。
「炭焼き琵琶猪」(小ブタの皮のカラ揚げ)、「カンラン」(野菜いため)、スープ、チャーハンとビール。締めて二十七万ルピア、日本円でおよそ三千四百円、三人分の値段である。ジャカルタの大金持ちたちは、この国の“アジア経済の奇跡”といわれた九〇年代に、腕のよい香港のシェフを高給をもって招聘し超高級中華レストランを開業するのが流行だった。この店もそのひとつだが、料理の質は、いまでも、ジャカルタで一番か二番だろう。そのまま東京にもってきても、三本の指に入る。
 にもかかわらず閑古鳥が鳴いているのは、インドネシア人は、スハルトをよほど嫌いになったということなのか。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ものらしい。
 経営者も意地でやっているのか、それとも往年の蓄財があるので、客入りの不振による赤字なんか歯牙にもかけないのか。どちらにせよこの店、旅行案内書には載っていない隠れた穴場ではある。
 
「ゲイ」の名所で
 穴場といえば、ジャカルタには、御釜(ゲイ・男色)の名所があると聞いた。「そちらの趣味は全くなし」と尻込みしたら、同行の日本財団理事長、笹川陽平さんに「ジャーナリスト、見てきたようなウソを書き。そういう川柳を知ってますか」と言われ、おっかなびっくり、実地にインタビューに出かけることにした。夜、十時を少し回った頃、逗留先のシャングリラホテルから、車で五分ほど、片側が一見、公園風のクニンガン通りの歩道に、三十メートおきにそれらしき女装の男性たちが立っている。運転手も、頼みの笹川さんも、白石さんも車から一歩も出ない。
 私だけ車から押し出され、チャンデイック(現地語でオカマのこと)と会話をする。一人は、二十二、三歳、ヤセ型。片言の英語を話す。Are you a boy?なるほどその場所に男性のシンボルがなかった。多分、自ら望んで中国の宦官と同じ措置をとったのだろう。米ドルで一晩二百ドルだという。もう一人は、年の頃、三十歳といった太目の男性?で、セミの羽根のような透き通ったドレスを着ている。セレベス出身とのことで、百五十ドルだという。「もう一回りしてから必ず戻るから……」といって誘いを振り切り、「度胸がない」と残留の二人にからかわれるのを覚悟で車に逃げ返った。
 取材時間は、合計で五分足らず。だが現地に永住している元毎日新聞ジャカルタ支局長・草野靖夫さんに後刻その話をしたら「よい潮時でした。金を払わない冷やかしなら、それが限度です」と変てこなほめ言葉をいただいた。
 草野さんは以前、「母系制社会とインドネシアのオカマ文化と関連あり」とする文化人類学専攻の日本の大学教授を同じ場所に案内したことがあるという。あまりしつこく取材したので、男性たち?の逆鱗に触れ殴られた。逃げる途中、マンホールにはまって重傷を負ったとのことだ。異文化交流の要諦は、調子に乗らないことである。やはり時には、「渡る世界には、鬼がいた」のである。
 



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