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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国の素顔  
コラム名: 昼寝するお化け 第126回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1997/03/14  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一月二十九日の産経新聞のアピールという欄で、関西詩人協会会員の浜口恵子さんが、日本海の重油流出事故について書いておられた。
「いくら天候には勝てないとは言え、これだけ科学技術の進んだといわれる現代において、人海戦術にしか頼らざるを得ないという現実が、誠に心寂しい限りだ」
「わが国の国家行政の仕組みは何もかもが泥縄式だ。
 こんな国で、まともに高い税金を払って住んでいなければならないわれわれ日本人は、何とも情けなく、心細い限りとしか言いようがない」
 というのが浜口さんのご意見だが、私はそう思わない。
 今でも天候には人間は勝てないのである。そうでなければ、人は山で遭難しないだろう。オイルフェンスがあっても、数メートルの高波が来れば、油はあっという間にフェンスなど越えてしまう。そしてまた、船が遭難するのは、必ず波が高い時である。
 私は日本のすべての機能が泥縄だなどとは思えない。一月九日付けの東京新聞の夕刊には、ストロング国連事務総長特別顧問という人が、「日本ほど大気や水の汚染を減らした国は世界中にない」と評価した、という報道を載せている。
 日本はアフリカのように水がなくなるまで放置はしていない。世界の国の中で、こんな衛生的な水が自由に飲める国はほんとうに数えるほどしかないだろう。良質の電気が常に停電もなく確保され、救急車が多くの場合十分以内に現場に到着し、お金があろうとなかろうと倒れている病人には手当てをしてくれる。国中に飢えている人がなく、犯罪も非常に少ない。こんな国が世界中にどれだけあるというのだろう。
「この国はまちがいなく弱者を見捨て、切り捨てる国だ」
 と浜口さんは言う。
 そうだろうか。百点満点ではなくても、これほど弱者を見捨てていない国は少ないだろう。つい昨日もテレビは過疎の村で、一人の少女に一人の先生がついて教えている光景を映していた。弱者ではないが、一人の子供にも教育には金をかけねばならぬと、覚悟している国なのである。
 見捨てる、というのはこんなものではない。人間を動物並みに放置し、飢饉がくれば、力もなくなった人達が自分の坐った周囲の大地の草しか食べるものがない、という状態を放置するような国家のことを言うのである。
 阪神・淡路大震災の時、政府は数日間パンを配った。それを政府の無能と怒った人達がいた。
 災害の時、薯や米を配るのは簡単なことなのだ。しかし飢饉も災害も、燃料の不足と抱合せでやって来る。薯をもらっても、トウモロコシが配られて来ても、それを調理する燃料が手に入らないのである。
 その点パンなら燃料なしに、食べられる。しかも清潔である。これはすなわち国家の力なのである。数日間パンばかり食べさせられて飽きた、と言うのはほんとうは贅沢の極みというべきであろう。
 つい先日も私はラオスに入ったが、首都ヴィエンチャンの国立病院ですらCTスキャンは動いていないと言う。日本では、ホームレスが意識を失って運び込まれ、所持金が百円しかなくても、診断と治療は人道上のことだから、すぐちゃんとCTスキャンはかけている。こんな国が地球上にどれだけあるだろう。
 油の事故の解決はどこでも人海戦術なのだという。もちろん今より更に整備を整えることは当然で、私が今働いている日本財団も、緊急の除去装置として、オイル・クリーナーなどを二千八百万円、緊急に買うお手伝いをした。補償もかなりの額が出る筈である。しかし石油は、数年たてば、バクテリアの効果によって確実に自然にきれいになる。その間の損害を考えなくてもいいというわけではないが、そういう当然のことさえ、言ったら大変という世論の方向は少しおかしい。

 「もの書き」という職種への思い
 藤沢周平さんが亡くなられた。
 生前お眼にかかったことがあるが、穏やかな温かい印象の方であった。そして一人の人が亡くなると、司馬遼太郎さんにせよ、藤沢さんにせよ、そのすべてがいいことになる。
 東京新聞一月二十八日付けの「筆洗」という欄の引用で知ったのだが、藤沢さんは「もの書きなんかつまらんものです。土を耕している人のほうがえらい」と書かれたと言う。
 私は決してそう思わない。土を耕す人もえらいが、作家の生活の厳しさを通過して来た人なら、世間のたいていのことはできる、と思う。
 私は時々、三浦半島の海辺で週末を過ごしているが、そこで私は主に小説を書き、その合間に小さな畑で野菜を作っている。
 去年の後半は足を骨折して畑ができなかったので、海辺ではほんとうに怠けて暮らした。しかし足がよくなれば、私は畑と小説と倍の忙しさになる。
 もちろん素人の畑は責任がないから楽なものなのだが、私は今財団の勤めもしているから、サラリーマン的仕事とも比べることができる。そして、小説を書く仕事は、他のすべての仕事より厳しいと感じる時が多い。
 プロの作家は、休みがない。一年間、盆でも正月でも考えている。風邪をひいて熱があろうが、家の中に病人があろうが、一人で調べ物が夜半を過ぎても続こうが、複雑な論理を一人で組み立てるという仕事、原稿用紙の枡目を埋めるという作業は、断じて止められないのである。
 いかなる理由があろうと、間に合わせるのがプロの作家なのである。ところが、私が海辺の家にいると、東京からの電話には必ず、「お休み中恐縮ですが……」という枕言葉がつく。
 正直言って、私は書くことほど濃厚な仕事に、今まで出会ったことがない。今の私は、書くテーマも死ぬまでの分くらいあり、書くものがない苦労などしていないのだが、それでも私にとっては畑より重い。
 もの書きは、いないと社会が困るという職種ではないことは確かだが、決して「つまらん仕事」ではなかった。私はものを書くことによってすばらしい人生を見せてもらった。何より、生きることの達人にも会えたし、自分の不幸にさえも意味を発見できたのだから「つまらんもの」だなどと言えた義理ではない。ことのついでに、日本や自分の立場を悪く言えば、論評になるという安易な立場を私はとらない。私にとっては土を耕すのも、ものを書くのも、どちらも同じくらいすばらしい仕事だと思う。
 



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