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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 二人姉妹  
コラム名: 私日記 連載44  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1998/02/08  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九八年一月十一日
 朝十時、李庚宰神父の病室でミサ。手術後、初めて捧げるミサだと言われる。昨日、三浦朱門が、「神父さん、実はちょっとお願いがあるんですけど」という形で、少々の無理を承知でねだったもの。人を働かすこと、ことに神父をミサで働かすのは少しも悪くない、と信じているのである。
 ミサが終わってから、韓国カトリック新聞の取材を受けた。私の日本財団での仕事も聞かれた。マラッカ・シンガポール海峡の測量、航路標識の整備などは、もう三十年間に九十五億円をかけて財団が続けていることにも触れる。韓国も石油を中東から買っているそうだから、マラッカ・シンガポール海峡の航行を日本が安全に保つお手助けをできれば、韓国のお役にも立っているわけだ。
 午後四時少し過ぎの飛行機で福岡入国。親切な日本航空の職員が、予約されていた自社便より一機早い全日空便で帰れるように取り計らってくれる。やはりかなり疲れていたので、早く東京に着くことができて嬉しい。
 帰宅直後、劇作家の矢代静一氏の突然の訃報を知らされる。ほんとうだろうか、まさか悪戯電話ではないの? と一瞬疑う。
 一月十三日
 朝から、日本財団で予算の内容の説明。凄まじい早さで説明されても、中身が膨大なので、各部、三時間から四時間はかかる。今年は大分中身が早く呑み込めるようになったような気がする。
 私が納得できなくてお断りした企画に関して、私が会長をやめた後には再び温かい眼を持って再考慮してあげるように頼む。ものごとの判断や関係は、決して硬直したものであってはいけない。
 昼から毎日新聞社で「ふるさとの主張・コンクール」の審査会。厳しい選考委員もいるが、私はこと文学に関しては、たいていおもしろい作品があり、かなり甘い点をつけたくなる。
 昔は新人賞の選者もした。私は自分の推す人に強力に肩入れをできない性格であった。だから私が好きな作品を書いた人は入選を逸する。
 しかし運命は、たいていすぐ均される。一番の目利きは、作家でも、文芸評論家でもなく、黙って選考会の席に座っている編集者たちだから、新人賞で賞を逸しても、才能さえあれば必ず誰か編集者が拾いあげて育ててしまうものなのだ。だから、あまり厳密に運命を考えることはない、と私は考えている。
 終わって四時半から、帝国ホテルで科学技術庁の生命倫理懇談会。ここには私のような小説家もいれば、哲学者も医師も法律家もいる。生命に関する倫理の何と深く広く、無限であることか。しかし各分野の専門的な話を聞いているだけで、創造力をかきたてられる。
 その後、別館の「天一」で名古屋の平田国夫ドクターと会う。
 一月十四日
 朝九時から再び予算説明。今日は公益・福祉部の説明である。数十億のお金を厳密に使うことは、ほんとうに努カのいることである。
 一時半、イグナチオ教会で矢代静一氏の葬儀ミサ。教会は新築が完成したばかりで、葬儀としては、矢代さんのが初めてだとか。銀座の老舗の若旦那だった矢代さんが、「俺が葬儀の第一番目だってよ」と酒脱に笑っていそうな気がしてならない。
 二人の女優のお嬢さんたち(矢代朝子さん、毬谷友子さん)が、父上がアンダーラインを引いていたというチェホフの『三人姉妹』の一部を朗読する。プロとアマはこうも違うかと思うほど、二人は声も通り、父を失った矢代家の現実と、チェホフの作品の区別がつかないくらい、感情の流露した自然の演技。
 出棺を待つ間に、北杜夫さんご夫妻に何十年ぶりで会う。北さんは杖をついておられる。遠藤周作さんも老人風がお好きだった。北さんの肩を叩いたら、すばらしい手触りのオーバーを召しておられた。皆いなくなって淋しいよ。僕はご飯食べるのも罪悪感を覚えるくらい、というような意味のことを言われる。気持ちはよくわかるけど、なぜか私のした返事は荒い神経丸出し。あら、私はご飯なんか平気でどんどん食べてますよ。全く何というわかっちゃいない奴だ、と内心で思われたことだろう。
 財団に戻って、国際関係の小額案件の説明を受ける。六時、運輸省。海上保安庁の現役とOBの方たちに講演。シンガポールに寄港中、訪問したことのある巡視船「こじま」がちょうど横浜にいて、学生と教官の方たちも来ておられる。明日、嵐の予報の中を神戸に向けて出港だという。
 一月十五日
 大雪の中を新国立劇場の開場記念公演「アイーダ」を見るために家を出る。
 フランコ・ゼッフィレッリの演出の見事さに酔う。小説でも、たまにこういう繊細にして悠々たる構成と文章のものに出会うことがある。エジプトの兵士や、エチオピアの捕虜になるエキストラ百数十人にも厳密なオーディションがあった由。ライトを浴びても暴れないように訓練された馬は二頭しかいなくて御殿場から連れて来ている。きっとギャラも高いのだろう。
 



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