共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 北朝鮮 故金日成主席 1)  
コラム名: 地球巷談 1  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1997/01/05  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  国際情勢を的確に把握
 日本財団の援助活動は、国際規模で展開しており、海外を飛び回ることが多く、一国のトップと直に話し合う機会が結構あります。なかでも、北朝鮮の故金日成主席は独特の迫力を持った人物として、印象に残っています。
 一九九二年、はじめて北朝鮮を訪問しました。私が希望したのは、金日成主席ではなく息子の金正日書記との会談でした。理由は、ほぼ同世代の金書記の実像を自身の目で確かめたいと思ったからです。当時も今も、金正日書記は秘密のベールに包まれ、その人物像については西側には断片的な情報しか伝わってこなかったからです。
 三月十七日夕刻、朝鮮民航で北京を発ち、ピョンヤンのモランボン迎賓館に入ったのが夜の八時半。そこで知らされたのが、金書記が北部地域を視察中で不在、代わって金主席が会見するとの連絡でした。拍子抜けした私は即座に「約束が違うのでこのまま帰ります」。驚いた相手側は「日本で皇太子の代わりに天皇が会われる場合、断りますか」と反論。妙な理屈とは思いつつも会見相手は一国のトップ、あまりのごり押しも大人げないとひょんなことから金主席との会談が実現したわけです。
 金主席との会見は、三月二十日午前十時から昼食を挟んで三時間半に及びました。場所は、ピョンヤンから車で一時間半の温泉地区で、招待所近くの宮殿風ではない地味な雰囲気の接見所でした。声は大きく風貌(ふうぼう)はなかなかのもの。故田中角栄元首相に似た語り口ながら、迫力の点でよりスケールが大きく感じられました。
 開口一番、金主席が口にしたのが「日朝交渉は間違いだった」でした。この時期、日朝間では九〇年九月の自民、社会両党相乗りの金丸訪朝団が道筋をつけた国交正常化交渉の最中で、しかも北朝鮮の核開発疑惑で国際的緊張が高まっていました。
 金主席の言い分は「国交正常化は日本の与党自民党と最大野党社会党が朝鮮労働党との間で合意済みであり実現は時間の問題と考えていた。日本の政治決定過程に無知であった。外交的知識が不足していた」というものでした。共産主義独裁の北朝鮮の主席には、支配政党が合意したことが実行されないことは、理解できないことだったようです。
 とはいえ、金主席は国際情勢を総じて的確に把握している、というのが私の印象でした。パワーバランスの感覚に鋭く、また日ごろ米国のCNN放送もウオッチしていることが会話の端々にうかがえました。次回からはそうした金主席の側面を紹介してみたいと思います。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation