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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 種が尽きる  
コラム名: 私日記 連載29  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/10/19  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   九月二十三日
 昨夜ヤンゴンを発って、朝七時半関空着。知人がヤンゴンで買って帰ったビルマ蟹の中から三匹のお裾分けを頂いた。残りの蟹共も元気で、空港の床に置かれたビニール袋の中でモソモソ動く。数人の人だかりがして「中、何です?」「蟹です」「ヘえ、元気なもんだ」
 昔のベトナムの旧サイゴンの町などで、この手の生きた蟹をふん縛ってぶら下げて家に帰る人たちをよく見た。特にお金持ちというわけではない、庶民たちであった。彼らもまたお料理の名手だから、蟹でおいしいおかずを作って、一家で楽しんでいるのだろう。ああ、いいな、という感じであった。
 家へ帰ると、知人がお赤飯を届けてくださった。私が旅行中に馬齢を重ねたお祝いか、読売から賞を頂いたお祝いかよくわからないが、「おいしいことはいいことだ」から、理由は聞かないことにする。昼ご飯には鯛のお頭つきまで出たので「どうもいろいろお心遣いを頂きまして」と夫に礼を言うと「いや、お赤飯には鯛と決まってるから」と理由は全く食材のコンビネーションの問題と考えているらしい。
 考えてみると二週間、一度も日本料理を食べなかった。ヤンゴンには何軒も日本料理屋はあるらしいのだが、出張では行かないことに決めている。土地の食事をしていれば、一食数十円から数百円しかかからないで済むのに、高価な日本料理など食べなくてよろしいという理由である。
 午後、すぐ原稿の整理。
 夜、長崎から、坂谷豊光神父来訪。
 九月二十四日
 朝、毎日新聞の南蓁誼氏より電話。夏はいかがお暮らしですか、などと呑気に雑談を始めたら「今ウランバートルから電話しているんです」という。え? こんなきれいに聞こえるのに、という感じ。
 蒙古へ行くと飛行場で携帯電話を貸してくれるという話をこの間聞いたばかりである。静止衛星のおかげで、実にクリヤーな声で日本と繋がるのだそうだ。そうなると近くのとりつけのそば屋に電話をかけて「ザル二枚頼むよ。僕、今蒙古だけどさ、持って来てくれる?」と言いたくなる話も別の人から聞いた。
 夕方久しぶりに三戸浜の海の家に来た。ブーゲンビリアが咲き出しているが、寒がりの私は厚い毛布を出して来て少し心細くなっている。
 夕方マーケットで鰯の丸干し、小鰺(唐揚げ用)、里芋、泥つきの大根などを買って感動する。その上、いつもお魚を買う三崎の魚音さんの次男がお寿司屋の店を出したというので、そこへも寄ることにした。地で取れた穴子が絶品で四個も食べてしまってから、世界中には飢えている子も牛のオシッコで体を洗っている人たちもいるのに、こんな賛沢なことをしてばちが当たらないかと思う。これは最近の私の典型的な感謝の反応のパターンである。
 夜、明後日行われる国際研究奨学財団の設立記念パーティーでの挨拶を作文。私は小説の世界で長く暮らして来たので、何ごとも折り目正しく形を整えることに全く慣れていない。何でも出たとこ勝負、思いつきでドジるのもいいや、と思いがちである。しかし国際理解のために財団が新しい大きな仕事をしようとしておられるのに、出たとこ勝負はあまりに失礼だと思ったのだが、改まるとまた少し恥ずかしいという変な癖も抜けない。
 九月二十六日
 三戸浜から財団に出勤。一時間前に着くはずだったが、渋滞表示が最初三キロだったのに、突如九キロになった。高速を下りても、どこも車でべっとり。最初のお客さまをあまりお待たせすることになると申しわけないので、電話でお話しして、ご用向きの責任者に会って頂く。
 着いてからお客さま三組。
 五時少し前、運輸相に新しくご就任になった藤井孝男大臣にご挨拶に伺う。少し遅れてしまったのは、私がミャンマーにいたためである。
 帰りに黒野事務次官のお部屋にお寄りして、ミャンマー旅行の失敗談と内輪話。秘書課の魅力的な女性ボス・鈴木千壽子さんから、私が働いている海外邦人宣教者活動援助後援会の通信費用に切手のご寄付を頂く。「また集めておきますからね」と言ってくださったので「ほんとう? ぜひ、お願いします。助かるわ」と約束を取り付ける。
 六時、ホテルオークラで国際研究奨学財団の設立記念パーティー。その後、喘息で入院した義姉を見舞う。でもすっかり落ちついていて、退院の話が出るほどでほっとした。夜十時近く三戸浜帰着。
 九月二十七日
 親戚の夫妻が助っ人に現れて、強風の中で畑の種蒔き。春菊、チンゲンサイ、小蕪、葱、日本ほうれん草など。買い過ぎたと思うほど買った種が畑の半分でなくなった。
「種が尽きる、ということですな」
 小説の種でなくてよかったのである。それに種蒔きも時差出勤が必要だ。ほうれん草とサニーレタスなどは、これから十二月の初めまで半月毎に蒔いて行く。もう空気には冬の匂いがするというのに、茗荷一個、生姜もたくさん。紫蘇の実は大箱一杯採れた。
 



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