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喀什人は夜ふかしか? 九月末、中国の最西端の町カシュガル(喀什)の夜は、オーバーコートが必要である。外事弁事処のお役人の案内で、夜のこの町を散策する。 カシュガルは海抜ゼロメートルの盆地で、周囲はゴビに囲まれている。 「ゴビ」とは、五穀と野菜の育たぬ土地という意味のモンゴル語で、地名ではない。だから、中国の地図で「ゴビ砂漠」を探しても、どこにも見当らない。 「ゴビ」なるものの実態は、小石が河原のように積もった荒れ地である。強風にあおられて、石がころがるので、どの石も角がとれて丸い。 そういう、特殊なロケーションにあるオアシスの町のひとつがカシュガルだ。 だから寒暖の差は激しい。真夏の昼は五十度、厳冬の夜は零下二十度を記録するという。われわれの訪れた季節は、秋。といってもシルクロードのこの町に四季を示す自然の変化は乏しい。昼間の気温は三十度。 乾燥しているので、汗は出ない。だが夜は涼しいを通り越してかなり冷える。 「カシュガルの人は夜ふかしですなあ」 今回の旅の仲間の一人である防衛庁の元将軍が、夏服の肩をすぼめてそういう。時計は午後十一時をとっくにまわっている。だがカシュガル夜市には、人が大勢群がっている。雑貨と夜食の屋台が並んでいる。 夜食は、中華料理ではなくイスラム料理だ。ブタ肉は食べないので主に羊肉を使う。「焼羊肉串」(シシカバブ)は、さしずめ“羊のやきとり”だ。塩焼きで唐辛子をふりかける。炭火で焼き、「ジュー、ジュー」音をたてているのを喰らいつく。 羊のモツの煮込みもある。鉄鍋で丸ごと煮込んだ羊の内臓を、アラビアンナイトに出てくるような刀で、バッサリと一人前に切断して出してくれる。一皿、一・五元(三十円)也だ。 新彊ウイグルの旅の何日目かに感じたのだが、深夜になるとなぜか腹が減る。それは、中国という巨大国家には時差がなく、オール北京時間で時計が動いているからだ。そのことに気づいたのは、夜市の散策。 午後十一時といっても、現地の人々の生活感覚では、まだ宵の口だったのである。この日の行動を振り返ってみる。日の出は、たしか午前九時ごろだった。 日の出とともに朝食をすませ、要人とのインタビューに出かけ昼食をとる。「午後の予定は午後四時からです。それまで、ホテルで昼寝でもして休息してください」 外事弁事処のお嬢さん(といっても、この人は漢人で中国共産党の偉い人)にそういわれる。 「シルクロードの町には、シエスタ(昼寝)の伝統的文化があるの?」と聞いたら、「それは知らないけど、熱くて乾燥してるから、とにかく休息が必要なの」といわれたのを思い出した。 なぜ、昼寝が必要なのか。それは大陸国家中国が、ひとつの時計で動いているからにほかならない。 北京からカシュガルまで、飛行機なら五時間だが、バスなら二週間の旅であり、東西に三千キロはある。東西の経度がいくつも刻まれている大国で、ひとつの時間(北京時間)で運営されている国は、世界広しといえども、中国しかない。 その夜、ホテルで世界地図を開く。ロシアにはなんとローカルタイムが十個もあった。アメリカ、カナダは、東部標準時、中部タイム、マウンテンタイム、そして西部標準時がある。オーストラリアには時差が三つ、南米も三つ、アフリカ大陸は四つある。 中国は、東西の長さからいって、時差が四つあっても不思議ではない。とにかく中国は広い。新彊ウイグル自治区ひとつとっても、地理的にはその真ん中を占めるタクラマカン砂漠に、日本がすっぽりとはまってしまうほど、大きいのだ。
「答えは、首席に電話する」 翌日、朝食の席で北京から同行してくれた中国国際戦略研究所の秘書長で、現役の陸軍少将でもある苗将軍を相手に、中国の時差問答を試みたのである。この人はカナダとインドの中国大使館で長く駐在武官を務めた国際人で、英語で話が通じるのだ。 ??簡単だけど、考えようによってはややこしい質問をしてもよいか。 ??何でも聞いてくれ。私はパーティ(党)のメンバーだから、秘密も知っているが、それ以外だったら何でも話すよ。 ??将軍はたしかカナダのオタワに三年間駐在していた。そこで聞くのだが、オタワとバンクーバーの時差は何時間か? ??三時間だ。私はバンクーバーには何度も行ったことがある。 ??然り。三時間だ。では、聞くが中国は地理的にはカナダよりも大きい偉大な大国だろ。それなのにどうして時差なしで、ひとつの時間で運営されているのか。 ?そいつは簡単には答えられない、きわめて難しい質問である。 ??国家機密なのか? ??そんな明白なことが秘密であるわけがない。でも難しい質問だ。よし、北京に戻ったら、主席に電話して答えを聞いてあげるよ。アッ、ハッ、ハッ。 ??ひとつ頼みます。でも名目的にはともかく、実質的には時差はある。今朝、ホテルの窓から見た日の出は午前九時だった。北京での閣下の出勤時刻は何時か? ??私は早起き鳥だ。午前八時にはオフィスに出かけている。 ??将軍よ。するとあなたは、午前八時にカシュガルにオフィスから電話するのか? ??それはしない。相手の生活をちゃんと考えている。 ??つまり、将軍の頭のなかには、時差が入っている? ??然り、然り。 「大兄の質問は意地悪ですよ。苗樹春将軍は困っていたじゃないですか。もちろん彼は、なぜ、中国に形式的には時間が、一つしかないか。その理由は明確に知ってます。でも、それをあからさまに言えと迫られると、言い難いんですよ」 苗将軍との問答の一部始終を朝食のナン(イスラム食のパン)をかじりながら、黙って聞いていた隣席の中国・モンゴル学者、窪田新一君に、後でそうたしなめられた。 「つまりここういうこと? 外縁の少数民族を北京が従えるためには、時間といえども自由にさせない。そもそも秦の始皇帝以来、中国は暦は皇帝様が決める。外縁の人々は、皇帝から王の称号を与えられ、領土が安堵されるが、ただし臣下の礼をとる。暦の承服もそのひとつで、北京時間の遵守もそれと同じことである」
「外藩」と「自治区」の定義 中国には、北京時間しかない理由について自説を展開したら、窪田君は「表現はちょっとどぎついけど、おおむねそんなところでしょう」と賛意を表してくれた。“窪田学者”の解説によれば、この地域は歴史的にいうと「外藩」という。 朝鮮もベトナムもそして日本も、中華思想からいうとこの外藩に属し、朝貢外交をやっていた。そのかわり、「他民族の王」の称号が与えられていた。「外藩」の内側には「冊封国」があり、皇族の縁籍や重臣が王に任命された。満洲や内モンゴルが、それに該当するそうだ。 新彊ウイグルには、外藩がいくつもあり、モンゴル人や、ウイグル人の王様が何人もいたという。清朝の時代には北京に理藩院という役所があり、外藩として認められた自治権の逸脱がないか、目を光らせていたとのことだ。 「でも、時差の話だけどね。大陸国家がひとつの標準時ではいかにも不便じゃないか。中国の国家統一とか民族大同団結の建前はよくわかるけど、同時に中国人はリアリストでありプラグマチストだから、原理原則さえ認めれば裏には便法もあるんじゃないの」 もう一人の学者、中国人の手展君に、そう問いかけてみた。 「エエ。中国では形式の一致を重んじるが、実質の不一致には目をつむるという表現がある」と彼。この地域では、北京との二時間の時差をもつローカルタイムも非公式ではあるが使われているとのことだ。 ここまで来ると“時差の政治”はますますややこしくなる。結局、問題は「自治区とは何ぞや」に帰着する、新彊ウイグルは省ではなく、自治区であることは、いかなる意味をもつのか。 「自治区と省の違いは、立法権を与えられていることだ。それに、裁判所や人民代表者のトップは地元の民族で占められている。国の大きな方針に沿った新彊版は作れる。ただし、外交、軍事、国家の対外経済政策、省同士の関係はご法度で、北京の決定に従う」 これは、阿不来提主席の解説だ。「時差」の話も、省同士の関係に属する北京の専管事項なのである。中国が末永く「一つ」である必然性をもつのかどうかの議論はさておくとしても、「一つの中国」維持にとって、「一つの時間」は、それほど大事なのである。 それが、中国における“時差の政治学”ではないのか。
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