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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ホームページ?神無きが故に流行るのか  
コラム名: 自分の顔相手の顔 75  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/08/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先日若い人たちと、パソコン通信の話をした。
 私の職場の日本財団の机の上には端末機が乗っかっているし、財団の仕事の最新ニュースはホームページですぐさま流すようになっているから、ほんとうはもっと見なければならないのだが、他の用事が山積していて、とてもそちらまで手が廻らない。私はワープロで原稿を書いているし、インターネットなども自分で使えば性格的に決してできないとは思わないのだが、目下の状態では、ホームページやEメールを楽しむ時間がない。
 こうしたパソコン通信の一番初歩的な効果は、第一に情報を手軽にたくさん得られることがある。第二にはホームページというもので、自分の生活(存在)を知らせたい、人の生活や仕事を覗きたい、ということがある、と率直な話であった。
 この気持ちはよくわかるけれど、私など、コンジョウが悪いせいか、自分の生活などひた隠しにしておきたい。別に麻薬の密造や、偽造紙幣の印刷をやっているわけではないが、自分が何をしているかなど、作品として発表するもの以外は、ベールに包んでおきたいのである。実際はベールに包むほどのことは何もなく、平凡も平凡、暇さえあれば、ヒルネ、オフロをこの上なく愛しているだけのことなのだが、それだけになお黙っていたい。
 と同時に人のことも大して知りたいとは思わない。いや正確に言うと、私にとっておもしろいのは人だけだと言ってもいいほどなのだが??そして事実私は信じられないほど多くの人と魂に触れた密かな会話をすることを許されて来たのだが??インターネットのホームページに書かれている程度の覗き見ではあまり面白くない。
 現代人の一つの情熱は、自分のことを人に語りたい、人のことを知りたい、ということらしい。しかし私の作家的な体験によると、人間は、ほんとうのことは、よほど性格の変わった人でない限り、静かな密やかな場所で自分が好きな人にしか語らないものである。人はそうそう簡単に他人の魂に立ち入ることは不可能だし、許されるものでもないのだ。
 それにつけても思い出すのは、エルビス・プレスリーの聖歌である。プレスリーは他のロック調のものとは全く違う素晴らしい聖歌を歌っているが、その中に「神のみに知られた」という歌がある。
 信仰があると、自分の心は、よかれあしかれ神にだけは完全に過不足なく知られている、という実感がある。人に対しては体裁を繕ったりちょっと嘘をついてそれがうまく行ったりすることもあるが、神に対してだけはそれができない。もちろん私たちは人によく思われたいが、神の認識があると、人に理解されることなど最終的にはどうでもよくなる。
 ふと神がない時代だからこそ、自分を人に知らせたいという強烈な情熱に支えられたホームページが流行るのかな、と考えた。
 



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