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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 歴史の記録?「さっぱりしたい」なんて…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 59  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/23  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   モスクワの赤の広場を訪れた時、私も早速レーニンの廟に行った。完全な防腐処置を施された遺体は、睫毛でも手の皮膚でも完全に現実感を残していて、文字通り「生けるがごとき」だったから、私はこれはよくできた蝋人形ではないか、と思ったくらいである。
 みごとな遺体保存の技術で、その人に今でも会えるということは、決して悪くない。昔、カイロ博物館ではファラオたちのミイラを公開していた。ラムセス二世のミイラなど、ミイラの製造技術の上ではすばらしいできだった。髪から髭まですべて残っていて、私は三千三百年くらいの年月を越えて、ラムセス二世に「お会いできたこと」にすっかり感動してお辞儀をしてしまったくらいだった。
 それ以来、私は歴史を引きずった人だけは十分な尊敬を持って遺体を保存し、後世の人が会えるようにするべきだ、と考えるようになった。明治以降だけでも、まず明治天皇、それから西郷隆盛、乃木希典、福沢諭吉、樋口一葉など会ってみたい人は書き切れない。
 歴史の痕跡を棄てて、なかったことにしようというのが、どちらかと言うと日本的やり方なのである。戦争は悪いものだから、爆弾三勇士の銅像は取り捨てて、日本が平和になったこと、日本人が平和を支持していることを世界に示そうという態度である。
 しかし過去に自分が行った間違いや愚行を末長く記録に留めて、その前を通る度に自分の犯したことを思い出す、というのが、イタリア式の罪の認識の仕方なのだという考え方もある。
 今回の総会屋との事件の発覚後、社屋の前でテレビのカメラに捕まった野村証券の社員は「早くさっぱりして普通の業務に移りたいですね」という意味のことを答えていた。もちろんこの中年の社員は、事件には全くかかわっていなかったのだろうが、こういう答えは日本的発想の典型なのである。
 悪いことをやった会社の社員が、早くさっぱりしたいもなにもないのである。彼らがさっぱりしても、金を総会屋にやられた社会全体は、そのようにして生き残って行く総会屋の影響を、今後も直接間接に受けて行くわけで、決してさっぱりするわけがない。だから野村の社員には、簡単にさっぱりした気分になどなられたら困るのである。野村には、学校秀才かもしれないがこういう甘い幼児的な判断の社員がいることが、テレビの画面にはからずも映し出されたわけである。
 今レーニンの遺体をあらためて埋葬するかどうかということが、ロシアでは問題になっているというが、私はそのままにしておいてほしい。革命という名の元に、第一次、第二次世界大戦をはるかに凌駕する大量殺人を世界各地で行ったのは、社会主義であった。日本の社会主義者たちは、その現実にてっていして目を覆って来た。それでいてその責任は取らない。レーニンには大量殺人の責任者の「生きた見本」ならぬ「死んだ見本」として、せめて死後も罪ほろぼしをしてほしい。
 



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