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団体で旅行していると、私自身も一人旅の時より依頼心が強くなるのを感じる。旅行社が列車の席を取ってくれたのだから大丈夫だろう。一流レストランだから衛生的だろう。教会の中にならスリはいないだろう。両替屋ならお札の数をごまかさないだろう。それらがしばしばその通りではないのである。 自立心の欠如が一番はっきり現れるのは、誰かが自分を目的地に連れて行ってくれるだろう、という気分である。しかし人間はバスケットに入れたペットではないのだ。自分で歩けば時にははぐれる。そのためには、自分で目的地を入に聞くだけの気力も才覚もいる。日本人にはインテリでもそれができない人が多いのだそうだ。
私自身がしじゅうやっている悪い癖が幾つかある。現地通貨を日本円になおす算数を他人にやらせるのである。一度や二度なら誰でもガマンするが、それ以上になると、脳ミソを計算器代りに使われる人が疲れて来る。
脳ミソの代りに他人の眼玉を使う時もある。
「お昼ご飯のレストラン、何て言いましたっけ」
「日程麦に書いてありますけど……」
「私、老眼鏡がないと見えないのよ」
「カフエ・パレ・ロワイヤルです」
「ああ、どうもありがとう」
これも嫌がられるシニアの一つのタイプである。老眼鏡を出して自分で読めばいいのだ。それがつい億劫なのである。
黙ってご飯を食べるのも、大人でない証拠とみなされる。食事は適当な配分で相手と会話を交しながらするものだ。だからこそ、普段から新聞や本を読み、勉強していなければならない。それでも自信がなかったら質問して、相手のお得意とする話をよく聞き、為になったと思ったらほめて感謝すればいい。おかげさまで、物知りになりました、と礼を言って怒る人はないのだ。
買いもの一つでも、ただモノを買えばいいということではない。買いながら相手と会話をする。楽しい会話ができれば、買わなくても喜んでくれる人はたくさんいるのだ。それほど会話というものが、人生で大きな意味を持つ。語学ができないから会話ができない、という人がいるが、むしろ語学ができても話す内容のない方が困るのである。
旅はそもそも辛い要素があるものだ。ラクをしたかったら、自分の家にいるのが最高だ。その認識も自立と自律につながる。
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