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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 子供の人権(2)?飢えている世界に必要なもの  
コラム名: 自分の顔相手の顔 228  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/04/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨日、子供の権利について書いたので、それに連動して思いだしたことも書いておこう。「子供の権利」をうたわねばならないような社会は、社会全体が飢えているのが普通だ。そこではまず親が食物を食べてしまうので、子供は常に満足に食べていない。そんな話を聞くと日本人は、「えっ!? だって、親というものは自分が食べなくても、子供には食べさせるものでしょう」と言うが、それは飢えていない世界が無邪気に信じている物語である。
 大きな盆に皆が手を突っ込んで食べる習慣のある土地では、しばしば男性が先に食べ、余ったものを女性や子供が食べる。幼い子供は私たちがよく経験するように、食べ方が非常に遅い。だから彼らは、限られた時間の中で競争力がものを言うようなテンポでは、食事が取れないのだ。だから彼らは次第に痩せ細る、ということになる。
 子供がどれだけ食べているか、大皿の食事ではわからないなら、別のお皿に取って、子供の分を確保なさいよ、と教えても、多くの家庭ではそれができない。うちには別の皿がないから、というのが、その理由だ。プラスチックの小皿を買うお金もないのである。子供の権利、というのは、そんなふうにして食べていない子供のいる国では必要なものだ。
 子供が学校へ通う権利、労働をしない権利も多くの国で守られていない。とにかく食べられないのだから、小学校に上がる年齢になれば、子供は町で靴磨きをしたり宝くじを売るほかはない。日本の不登校児などというものを、どんなに説明しても、彼らはどうしてそういう子供ができるのかわからないだろう。
 牛飼いを命じられる田舎の子供たちは、学校に行きたくても、生活のために牛を追う。そして時どき、恐ろしい牛の角に腹を刺されたりする。しかし腸が飛び出るほどの傷を負っても、救急車はおろか、自動車だって村に一台か二台しかない、という土地では、何とか外科の処置らしいものを受けられる所まで運ぶのに時間がかかる。
 日本では「開発は悪」で「自然がいい」という人が多いが、そうした国ではまさに自然そのもので国土がなりたっているから、時速十キロか二十キロしか出ないような未舗装道路が普通だ。すると腸が飛び出て苦しんでいる子供を二十キロ離れた町の医院まで連れて行くのに一時間か二時間かかる。その間に子供は絶命するのだ。子供の権利、というのは、そういう国と社会に必要なものだ。
 今世界中には、ストリート・チルドレンが増えている。親が子供を捨てるケースだけではない。子供が親を捨てるのだ。親が麻薬をやり、売春目的で男を引き入れ、その男が女の連れ子を打擲(ちょうちゃく)するような「家」に彼らはいられないのである。
 ストリート・チルドレンはストリート・チルドレン同士でミドル・ティーンくらいで子供を産む。「子供の権利」という言葉がむけられるべき対象は、こういう子供たちだろう。
 



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