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本来なら、私が知るはずもない片隅の人生に心をうたれることが多い。新聞の三面記事である。 その人はシンガポールに住むP・スピアという五十六歳の男性である。職業は警備員。住宅事情のいいシンガポールで、一間の公営住宅に入居していたが、ここには住んだ形跡がないという。彼は住み込みの警備員として、去年の九月から、今の職場で働き出したのである。 孤獨な人物であった。会社では何か事故があった場合に連絡する身内か、親戚か、友だちはいないのかと聞いたことがあったが、彼はそういう人は一人もいない、と答えた。彼が獨身だということは、職場の同僚も知っていたが、自分のことはほとんど語らなかった。ただ上司の数人には離婚歴があり、子供も一人いる、と話したことがあった。 その夜、彼はゲイランという町の一泊千四百円の顔見知りの安宿に泊まりに来た。 「いつもは一晩だけ泊まって帰っていくんですが、その日だけはどうも体の調子がよくないので、二、三日泊まる、と言ってました」 とたった六部屋しかない宿屋の主人は語った。 主人がスピアを最後に見たのはその夜の八時頃だった。どうも気分がよくないので、今日はこのまま休む、というのがその言葉だった。彼はヘビー・スモーカーで、最近は胃の調子もよくない、と言っていたのである。翌日正午に彼は部屋を空ける予定だった。しかしその気配もないので、午後二時過ぎに主人は様子を見に行った。スピアは書き物机の前の椅子に坐ったままこと切れていた。彼は着替えさえ持っていなかった。古い時計、身分証明書、二万円足らずの現金、それが全部だった。 「一人で、彼は生き、死んだ」と新聞は見出しに書いている。 人はほんとうに自分で人生の生き方を選ぶものだ、と思う。新聞はまだ、彼に銀行預金があったかどうか、などということについては触れていない。彼には職もあったのだし、住む家もあった。シンガポールでは外食しても、一日五、六百円で生きていられる。写真で見る限り、彼はまっとうな男らしい顔をしている。職場や町で遊び友だちを作ることができないような外見の人物ではない。 鬱病だったのか。そうかも知れない。とにかくてっていして、人とつき合うのがいやだったのだ。社会をいかに整備しても、必ずこういう人物は残る。社会が放置したのではない。彼が孤獨を選んだのだ。 それにしても強い人だ、と私は思う。一人で生きるために、彼は警備員をして働き続けた。口をきかないだけで、少しも法を犯すようなことはしなかった。どこも悪くはない。一人でいたいという好みを、彼は守っただけだ。 時々町を眺めていると、長編小説と短編小説が歩いているように思えることがある。大人は人生を長く生きてきたから長編である。
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