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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 「戒老録」?自分との戦いが若さを生む  
コラム名: 自分の顔相手の顔 356  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/07/26  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私の『戒老録』という本が原作になって、日比谷の芸術座で上演されているお芝居を見に行った。山田五十鈴さんと淡島千景さんが主役だが、その他にも丹阿弥谷津子さんや寺島信子さん、三橋達也さんなど、渋いお色気のあるすばらしい配役が隅々まで揃っていたので、私は笑い通しだった。
 何しろ頭も尻尾もない原作の影など極めて薄いのである。このお芝居を成功させた一つの原因は、脚本の小池倫代さんの実にすばらしい脚本のせいで、私などこれで完全に、一生のうち一度でいいから芝居を書いてみたい、という意欲を失った。とてもこうは書けない、と思い続けだったのである。昨今のテレビドラマの未消化な脚本と比べたら、小池さんの台詞はまさに名作であり、芸術である。
 笑うということは偉大なことだ。人はどういう時に笑うかというと、自分の姿を鏡に映し出されたような真実を告げられた時に、思わず笑うのだから奇妙なものである。真実をじっくりと見る時、人は自分だけでなく、世間にも同じようないびつな人生があることを知って気が楽になり、解放された気分になる。自分一人が不幸なのだ、と思い込むことがなくて、自分も皆の中の一人だと思えるのである。
 これがつくづく大人のお芝居だと思ったのは、そこに一人も理想的な人物が出てこないからである。典型的な善人も悪人もいない。だから大人の台詞が聞けるのである。
 山田五十鈴さんも淡島千寮さんも、お二人共、目的を持っていられるから信じられないほど若々しい。山田五十鈴さんは年を隠していないとおっしゃる。八十歳を超えた方が、どうしてあの長い台詞を新たに覚えられるのか私は不思議だった。年を取ると記憶力が悪くなる、というのは、訓練をしないからだ、ということなのだろう。観客は何より、今でもすばらしい現役で舞台に立っていらっしゃるお二人の姿を見ると、自分もああなろうと決心して、元気になって帰って行く。
 後日、山田五十鈴さんが言われた。周囲のファンが、山田さんに年を取ることを許さないのだ、という。ほんとうは、自分も時には気楽に背中を丸くしていたいと思う時がある。しかしいつまでも若くいてください、という人々の期待を思えば、背中はいつもきりっと伸ばしていなければならない。
 お二人が天性の美貌を持っていらっしゃるということは明らかだ。しかしそれだけではとうていやっていけない。そこにはいつも自分とのささやかな戦いの部分が残されている。その普段の緊張があるから、今日の結果も生まれたのである。
 お芝居がはねると、山田さんは真っ赤なジャケットを着て、サングラスをかけ、劇場の近くを散歩しておられた。一瞬、十六歳に見えた。よく見れば五十歳代。誰も山田さんと見抜くはずがない。若すぎるのである。大女優は気楽に悠々と夜の町を歩く。大スターにも自由があることを知って、私はほんとうに嬉しかった。
 



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