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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 断腸の思い?病死、餓死なすすべない世界  
コラム名: 自分の顔相手の顔 66  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/07/15  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   二十五年前に、或る偶然のことの成り行きから、アフリカの飢餓地帯などへ、食料や薬を送る小さな組織で働くようになってから、私は自分のやっている組織に対しても、さまざまな批判めいた言葉を聞かされて来た。
 「飢餓問題は、あんたたちみたいなのがいるから、かえって解決しないんだ。飢えて生きて行けないということを彼ら自身が知らなければ、基本的な解決には辿り着かないんだよ」
 と面と向かって言われたことも一度や二度でない。
 先進国では、子供が生まれないことが悩みの種だが、途上国では、人口増加が大きな経済問題になっている。私は実際にその後、アフリカに行くようになって、彼らが子供をたくさん生む理由もわかるようになった。
 娯楽がないからだ、という人もいるし、子供がたくさん生まれるということが部族と個人の幸福と繁栄の証だと考える人たちも多い。しかし何より赤ん坊の死亡率が高くて、千人のうち二百五十人から三百人も死ぬという土地では「子供は多目に生んでおく」という知恵も生まれる。その上、牧畜民にとっても農民にとっても、子供はすなわち労働力だから、生まれなければ食べてはいけない。
 しかし片方で、子供が多いから暮らしも貧しくなる。私たちがやはり食べ物を送り続けたのは、もしかすると私自身が弱くて、今晩食べるものがないということには、自分自身が耐えられないと思ったであろう。
 今、腕の中にいるわが子が、なすすべもなく病気で死ぬというのは、母親にとって「断腸の思い」だろうから(私はこの表現がこの頃、改めて好きになった)、やはりその子を助けるために薬も送って来たのである。
 先日イタリアで一人の医師に会った。
 その人によれば、紀元二千年には、癌やエイズなどで、もはや救うことができない人々が、五千万人に達するだろう、というのである。そしてそのうちの実に八十パーセントの人々??主に第三世界の住人??が、痛みや苦しみに対して何一つ緩和ケヤーを受けられないままに、みじめに苦しんで死んで行くことになるだろう、と彼は悟った。
 今までの世界は人を生かすためには、お金も心も使おうとした。しかしすべての人に訪れる人生の最後に、人間らしい労りや尊厳を与えるためには、ほとんど心もお金も使って来なかった。カルカッタのマザー・テレサが、今夜一晩しか生きそうにない人に対しても、体を洗い、一口でも食べさせ、優しい言葉をかけ、動物とは違う生涯だったと思わせようとしているのも、その人間回復のためであった。
 今なお痛みを止めてもらう方途のない世界に生きている人がいるのである。電話をかければ三十分以内に救急車が痛み止めの注射を打ってもらえる場所に連れて行ってくれる国に住んでいると、私たちはこういう基本的な不幸を忘れてしまう。
 



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