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三月三日 昨日、三浦朱門と、知人を病院に見舞った時、ルルドのお水をお飲みくださいますか、というような会話をした。 ルルドというのは南フランスのピレネーの麓にある一寒村の名前だが、一八五八年土地の羊飼いの娘、十四歳のベルナデッタ・スピルーに聖母が現れ、そのご命令の通りに土地を掘るとすばらしい泉が湧いた。その水を飲み、水浴をすると重病人が治る例が今までにも数多くあった。一九二一年にノーベル生理医学賞を受けたアレキシス・カレルもその事実を承認している。 水は聖母出現の洞窟の近くの蛇口からいくらでも汲める。お金など一フランも取らない。皆それをプラスチックの水入れに汲んで帰る。 毎年春に出かける視力や身体の障害者の方との聖地旅行の時にもルルドに寄ることがある。今までに、二人はっきりと効果があった。一人はご主人がモヤモヤ病と呼ばれる脳の疾患だった。もちろんカトリックでもないし、意識がはっきりしていたら、反キリスト教を表明したろう。それが、夫人の持って帰ったルルドのお水で、医師が説明できないほど軽快して、身の回りのことをほとんどするようになっただけでなく、お料理の作り方まで意欲的に奥さんに聞くようになった。 もう一人は、膀胱癌の老婦人だった。これははっきり癌が消えてしまった。私の友人の義母である。 ルルドの町は、いつも病人で溢れている。明日をも知れない人も、車椅子やベッドのまま町に連れ出され夕べの祈りに参加する。病む人と健康な人とは、紙一重だし、その両者が共にこの世に在ってこそ、現世は陰影が深くなることを、ルルドの町は語っている。その意味でこれほど健やかな町もない。 かつて一人の盲目の老婦人が私たちの旅行に参加した。この人は灘の有名な酒造家の奥さんであった。彼女はルルドの水を持ち帰り日本で水質検査に出した。 「あの人はコンジョウが悪くて立派な人だ」 と朱門は後になって褒めた。彼の日本語は少し狂っているから、根性が悪いというのは純粋のホメ言葉なのである。つまりその婦人の実証主義みたいなものが好きだったのだろう。検査の結果は、恐ろしく純度の高い水だということであった。だから何年おいても腐らず、この水で水浴した後は、体を拭きもせず服を着るのだが、濡れて寒いということがなくすぐ乾く。 ルルドヘの旅では、毎年、信仰深くない私の同行老が、この類まれな純粋なお水で、ホテルで秘かにウイスキーの水割りを作って聖母に感謝しながら飲んでいる。知人は入院中だから、水割りを飲むことは許されていないかもしれないが、聖母の贈り物の水で薬を飲むという優しさに包まれてもいいだろう。 日本財団への出勤の往きに、六リットル入りの壜を届ける。病室の椅子で食事をしていた知人に、 「コンジョウのよくない人ほど効くみたいですよ」 と言ったら、 「それじゃボクには効かないでしょうね」 と言うので、 「売り込んでもダメですよ」 と言い棄てて帰って来た。朱門はかねがね「病院見舞いなんかするな。ジャマなもんだ」と言っているので、お見舞いは一分間になった。 夜、古河誠運輸大臣と加藤紘一幹事長、笹川陽平理事長と赤坂で会食。社交ではない。日本財団の評議員として前ヤマト運輸会長・小倉昌男氏の評議員就任を運輸省が認めないことに対して、財団が運輸省を訴えたので、穏やかに話し合うためである。運輸大臣室などでこういう話はできないと私は思っているから「ワリカンで、おでんやかなんかでいかがでございますか」と言ったのである。 笹川理事長と失礼のないように先に行き、美人の女将さんに「ヤボな話ですが、時節がら、ワリカンにしますから、二人前の受け取りをご用意くださいね」と頼む。 人のお金で食事を楽しむと思うのは、庶民のやっかみだろう。毎日のように「会食という名の残業」をされているお二人に、申しわけないという思いを深める。誰だって「ご飯はうちで食べるのが最高」なのだ。 三月四日 日本財団への出勤日。 午頃、財団に新潮社の三氏来訪。初め私は、恐ろしく公私の区別をつけていた。自分の仕事の人は、自宅で会う、ことにしようと思っていた。 しかし最近この原則を少し変えた。オフィスには、誰でも気楽に立ち寄れる方がいい。そしてどんな人々が、どんな場所で、どんな顔をして働いており、どんな人々が訪ねて来るか、自然に観察してもらうのが最高だ。 私の友人の一人も、競艇場という所は「黒眼鏡のヤァさんがいっぱいいる所」だと思って私について来た。そうしたら家族連れもいるし、時には姿勢のいい場内の警備員さんに敬礼して貰えるので、すっかり印象を変えてしまった。見るのが一番である。 日本財団の社員食堂は、定食が四百七十円。なかなかおいしい。それでごちそうをした気になる。図々しい。
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