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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 親孝行?地球に優しくする前に  
コラム名: 自分の顔相手の顔 190  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/11/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本の新聞の社会面にはどうも殺伐とした記事が多くて、人の心が幸福になる話は少ないように思う。私はごく普通に暮らしているだけで、けっこういい話に巡り合うのだが、それは私が甘いからなのだろうか。
 人間は流行に弱いから、誰かが飲料水にアジ化ナトリウムという物質を入れたとなると、また他の土地でも同じことをする人が現れる。新聞がおもしろい話、楽しい話、いい話をもう少し多く載せるようにすれば、いいことをしようという真似っ子もまた増えるかもしれない。
 日本の新聞に出たかどうかわからないが、私が旅先の英字新聞で読んだロイター発の小さな記事がある。三十七歳のデンマーク人が週末に果たした小さな親孝行の話である。
 フレミング・ペダーセンは八十六歳の父親が死んだ時、しばらくの間父と二人だけにしておいてくれないか、と病院側に頼んだ。
 彼は硬直した父の遺骸に、革の上着、ブーツを着せ、ヘルメットにサングラスを掛けさせ、病院の外に運び出した。それから父をハーレー・ダビッドソンの座席に括りつけ、コペンハーゲン周辺の、亡き父が愛した土地を三時間にわたって乗り回した。彼はビールのために、酒場にも止まり、愛煙家だった父の唇の間に、火をつけたタバコをくわえさせた。
 この話を読んで涙ぐむ人も数人はいるかもしれない。どんなに功なり名遂げても、冷たい息子に捨てられている父や母は世間にけっこういるのである。
 どうして学校や社会は、子供に親孝行を教えないのだろうか。親孝行は、今でも多くの文化・社会の中で大きな意味を持っている。親に優しくするということは、今流行のフィランソロピイの基本であろう。地球に優しくする前に、まず父母に優しくするのが当然だが、同時に身寄りのない老人にも慰めを与え希望となる時間や心のゆとりを持つべきなのである。そんな当然なことを、学校教育ではしっかりと教えているのだろうか。
 遺体とオートバイに乗りに行くことを許した病院や警察にも、私は敬意を払いたい。遺体はどこの国でも自家用車に載せてはいけないはずだ。もっとも私はデンマークの規則を知っているわけではないのだが。規則は規則。しかしそれに優るのが人間の優しさであろう。日本人は規則、習慣、申し合わせ、などに抵触しさえしなければそれでいいとする人が多くてびっくりすることがある。それが果して正しいことか、人道的なことかなどは、ほとんど考えないのである。
 規則を楯に取ることは、勇気のなさを示していることも多い。正しいと思うことをして裁かれたら、それはその時のことだ。信念を持ってそうしたことなのなら、その人はほとんど傷つかないどころか心の安らぎを得るだろう。親孝行はあとあとまで続く楽しい思い出になり、親をほおっておくと生涯自信を失うもののようである。
 



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