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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 自然保護?虫と土と同居できること  
コラム名: 自分の顔相手の顔 99  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/11/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は今、ポール・ドーファン(イルカの港)というマダガスカル島の最南端の港町でこの原稿を書いている。
 その前は、島の中央部に位置するアンボィノリナという地図にも載っていないような田舎で二晩を過した。もちろん電気も水道もない村である。そこに私の知人のカトリックのシスターが、修道院の他の二人の看護婦さんたちと小さなクリニックで働いている。一人はインド人、一人はポーランド人の修道女である。私のマダガスカル再訪は十五年ぶりだった。
 その村へ到達する迄には、途中で五、六ケ所の橋を渡る。わずか数メートルの橋なのだが、並べてある板のうち釘で止めてないものは始終盗まれるので、私たちの車のうちの一台のルーフには、渡し用の板が十枚近く積んである。川を渡る度に、男たちがそれを敷き、こちらの車が皆渡り終ったら、自分が敷いた板は又回収して持って行く。
 私たちがチャーターした五台の四駆の車のうちの一台は官庁ナンバーだった。運転手に聞くと、持ち主か使用主かは通信隊の将軍だと言う。彼個人がアルバイトに運転手つきで車を貸し出しているのか、政府がこうして儲けているのかはわからないが、日本人にはとうてい理解できない組織構造である。
 その車で四時間、悪路を移動しているうちに、私はすさまじい痒さに襲われるようになった。私の恐れていることが起きたのである。痒みの原因を私の眼で見つけることはできないが、ダニにたかられたのである。その夜は体中が熱をもって腫れ上った。蚊にくわれる程度ではない。こぶこぶに隆起した皮膚があまり広い面積になったので、私は火傷と同じで皮膚呼吸ができなくなるのではないか、と感じたくらいだった。その夜は原稿を「書く」はずだったのに、私は手足や背中を三時間「掻き」続けた。
 ダニは飛行機の座席や毛布、ホテルのベッドにもいる。それを恐れて、私は本当は自分専用の寝袋で野宿をするのが好きだ。
 アフリカで生きるということは、これらの虫と土埃とに動じずにいられることである。田舎の人々は体も洗わず洗濯もしない。看護婦さんのシスターによると、体と服を洗いさえすれば一週間で治る皮膚病があるという。破れて着られなくなるまで洗わない服は、限りなく垢と泥の色に近づく。
 幼い頃から私は、土をいじった後の手は汚い、と母に言われたものだった。土の上にちょっと登ると、母は「そんなことをすると洋服が汚れるでしょう」と叱った。しかしアフリカの人たちは、ずっと土の上に坐って、大地と同化し、土埃の入った食事を食べる。
 どちらがいい悪いの問題ではない。それは生き方の違いの問題だ。ただ私たちのように清潔に処理された水を使い、埃の入らない家に住む人間は自然を拒否し歪めて生きていることだけは確実だ。自然保護ということは、虫と土と同居できることでもあろう。
 



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