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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: セポイの乱?宗教と食物の厳しい関係知れ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 401  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/01/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   オウム真理教以来、日本人は宗教を敵視しだした、というが、それ以前からも、宗教を軽侮する傾向はあった。つまり近代精神は、宗教を排除して科学的な判断をすることにあるので、人間が判断できないかなたに神の存在を認めるのは迷信と見なしたのである。
 だから日本人は無神論であることを誇りにする。中近東に旅行して入国時の書類の「宗教」の欄に「無宗教」と書くことが知識人の証だと思う。しかし地球上の多くの人々は決してそうではない。神がある人は、罰を恐れるから悪いことをするにしても限度がある、と感じるが、「無宗教」で神がいない人間は何をするかわからない、と思う方が普通なのである。
 「インドネシア味の素」が、イスラム教で禁じられている豚肉成分を製造過程で使用していたとされる事件は、日本人の、宗教に対する感覚の甘さから出たものだろう。ごく一般的な常識として、ヒンドゥ教徒は牛を食べない。イスラム教徒は豚を食べない。ユダヤ教徒はもっと複雑で、血を含んだ肉、ひれとうろこのない魚(従ってエビ、カニ、クコ、イカ)も食べない。乳製品と肉は決していっしょに調理せず、同じ食事にも供さない。
 どうしてそんなことにこだわるのだ、と言うが、人間はすべての行為を解明できるものではない、と彼らは答える。私たち日本人の社会にだって、行為の理由が証明できないものがいくらでもある。しかし人々は、習慣として、感覚として、安心として、知恵の一種として、伝統的な行為を踏襲する。
 「インドネシア味の素」騒動を知って一番先に思い出したのは「セポイの乱」である。セポイというのは、イギリスの植民地時代のインド人傭兵のことであった。一八五七年、このセポイたちの間で、彼らが使っている小銃の薬包には牛と豚の脂が塗ってあるという噂が広まった。インドに住むヒンドゥ教徒にとっては牛は聖なる動物である。イスラム教徒にとっては、豚は不浄な動物である。傭兵たちは小銃を撃つ時には、薬包を口で噛み切らねばならないから、そのつどそうした脂を□にすることになる。
 イギリス人たちはそれを知りつつセポイに薬包を渡し、彼らの階級制度や信仰を失わせて無理やりにキリスト教徒に改宗させようとしている、とインド人たちは考えたのである。
 この反乱は北インドの小さな都市で起きたのだが、やがてその動きはデリーにまで達し、イギリスの保護の元にあったムガール皇帝は尻を叩かれるようにして独立を宣した。こうして独立運動の気運は一挙に高まったのだが、その時はイギリス支配を拒否するという力しか持たず、インド全体を統一に向けて収斂する総括的な民衆の力とは成りえなかった。しかし少なくとも確実な気運の第一歩ではあった。
 外国と接触するあらゆる会社や組織は、社員に徹底してこの「セポイの乱」における信仰の重みだけは神経質なくらい教えるべきであった。
 



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