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末端の国民とスキンシップ 前回、昨年二月にフジモリ大統領のご招待によりペルーを訪問したことをお話ししました。朝十時、首郡リマの大統領官邸に参上すると突然に「叙勲式典を行います」といわれました。事前に叙勲の話はなく、面食らいました。 叙勲式が終わると「さあ、市内を案内しましょう」と自らベンツの運転席に乗り込むではありませんか。助手席に滑り込んだわたしはドアを閉めようとしますが、重くてなかなか動きません。見れば、窓には厚さ七、八センチはある防弾ガラスがはめこまれていました。 大統領を警護するのは、先導する二台のオートバイと機関銃を持つ二人組が乗り込んだ乗用車。ところが、大統領は勝手知ったる所とばかりに裏道にドンドン入ってゆく。オートバイは先導ではなく、後追いする場面が度々でした。 「ここはかつてはゲリラの巣でした」と運転席から説明された大統領は気楽に車外に出て、住民たちと和気あいあいとあいさつを交わしていました。途中、道路の開通式に出くわし、大統領とトラックに乗り、走り初めを経験する一幕もありました。 大統領は週四回は、ペルー全土を駆け巡るそうで、帰ってくると、夜何時であろうと、閣僚を集めて会議を開くのです。 「わたしはだれよりも、ペルーのことを知っていますよ」と大統領は事もなげに話していました。 翌日は早朝から専用機で遺跡の町クスコに向かい、クスコからはヘリで切り立った山々を縫うようにして奥地に向かいます。小さな村に降り立つと、大統領は集まった村人たちに、大きな袋から子供用のトレーニングパンツやシャツを取り出し一人一人に手渡すのです。 大統領は地方視察すると、住民を前にして辻説法しながら、さまざまな要望に耳を傾けるのです。 「必ず実現する。大統領はうそをつかない」と言い切る一方、「しかし、きみたちは働かなすぎる。もっと働こうじゃないか」と訴えることも忘れません。 大統領が、憲法一時停止などの思い切った政策が取れたのも、日々、末端の国民とスキンシップを持ち、彼らが自分を信じてくれているとの確信があるからでしょう。 この日、午後四時にはリマにもどり、日本財団が寄贈した日系人の病院のパーティーに出席することになっていました。しかし、病院にたどりついたのは午後八時すぎ。にもかかわらず全国から集まった日系人の皆さんは、「大統領の強行軍は有名ですから」とだれ一人、不機嫌な顔をされませんでした。 当初は距離を置いていたといわれる日系人社会も、いまでは全面的に大統領を支持していることがよくわかりました。
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