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「右手」を出して見る スリランカ国とは何ぞや??。それを知るには、その概念図を頭に入れておくことがどうしても必要だ。というのは、北海道よりちょっと小ぶりのこの島には千八百万人もの人が住み、しかも地域によって全く異なる社会的、文化的、政治的様相をもっているからだ。 そのためには「とても便利な覚え方があります」と通訳のマラスリエ君が教えてくれた。スリランカ国の小学校で、地理の教課で昔から教えているやり方だという。 右手のたなごころを手の平を下にして指を開かずテーブル上に置く。手の甲の示す形を本物の地図と比べると、寸分違わぬという表現が決して誇張ではないことがわかる。しかも、甲の厚みで、真ん中が高くなるが、その立体感が、この島の等高線図とおおむね一致するのだから驚きだ。だれが考えたのかは知らぬが、この国の古人には、よほどの知恵者がいたに違いない。 右手の甲を眺めつつ思ったのだが、スリランカは、三つに分けてとらえるとわかりやすい。親指のつけ根にある英植民地時代の首都コロンボから、中央の高い部分にある山の仏教王国跡のキャンデイ。外国人の観光コースである。人指し指から小指にいたる北部が、タミールの虎(LTTE)の支配地で立ち入り不能。コロンボの政府軍と戦闘を続けている。貧しいが平和な農村地域、それが、手首に近い丸い部分「南部の四つの州である。 この地域では、知る人ぞ知る村作り運動が展開されている。今回のスリランカ訪問は作家の曾野綾子さんと一緒だったが、そのリーダーであるA・T・アリヤラトネ博士(六十九歳)とじっくり話をし、そして運動の実際を現地に見ることが主な目的だった。 その名はSHARAMADANA SARVODAYAだ。マハトマ・ガンジーの言葉で「目覚めと自立」という意味がある。本部はコロンボにあるが、この国の二万四千の農村のうち、南の地区の一万の村で、草の根農村革命をやっている。 英語、日本語を含めて、数冊の旅行案内書をめくってみたが、この話はどの本にも一行も載っていない。だが今日のスリランカでは、SALVODAYA(サルボダヤ)は、政府に次ぐ大勢力だともいわれている。このためリーダーのアリヤラトネ氏は、以前の大統領から、政権への協力を断られた腹いせに裁判にかけられたこともあるという。 コロンボを出て山道に入る。そして六十キロ。ラトウナプラという宝石の町(サファイア、ルビーの原石の手掘りをやっている)を通過して、ようやくサルボダヤの拠点のひとつ、マトウワガラ村に着く。コロンボ市内には対ゲリラ戦用の土で造ったトーチカが随所に見られたが、ここは軍隊はいない別世界だ。 「アリ氏の村作り運動」 「アデリン・ピリニガム(愛をこめて、WELCOME)。ここはスリランカで最も安全なところです」と、アリヤラトネ氏が迎えてくれた。 アリ氏は元高校の生物の教師である。教師時代、ある貧しい村で生徒とともに道路や家の修理の奉仕活動を経験した。この奉仕活動は次々に他の村々から要請があった。村人とともに勤労に励むうちに、「学校は生徒に知識を教えているが、知恵を与えていない。それを村人から学びたい」。それがこの運動の始まりだという。一九五八年のことだ。 教育改革のための教育実践が、いつの間にか巨大な村作り運動に変身していった。彼のサルボダヤの哲学は、仏教の奥義に根ざしている。 「無常、苦痛および空は有限のすべての存在において免れることのできない現実です。それを認識することが悟りであり、悟りのなかにこそ人間としての究極の安らぎがある」とアリ氏は言った。 でも、それがどうして村作り運動と結び付くのか。ここが仏教哲学者アリ氏の思想の根幹なのだが、「悟りは、一面では社会的な相互作用の過程を通じて、他者を理解することによって可能になる。と同時に外からの助けにすがることのない自助の精神が必要である。個人の自助と集団の自立。これがサルボダヤの哲学的枠組みである」と説明してくれた。 なかなか深遠な哲学である。ちょっぴり頭が痛くなる。そういうときは現場を見るに限る。この村は運動の先進的地域で「サルボダヤ開発銀行」という名のミニミニ銀行があった。サルボダヤ本部が出資した頭金と村人が何年もかかってせっせと預金したお金が、象一頭の値段(日本円で五十万円)になると、コミュニティ銀行として独立する。九六年、銀行として大蔵省の認可までとった。といっても土と石で造った粗末な小屋で、窓ガラスも入っていないが、通常、多額の現金は置いていないので心配ない。 スリランカでは、農民が銀行から金を借りることは不可能である。多額の担保を要求されるからだ。そこでこの銀行は村人から集めた預金を都市の大銀行に再預金し、その預金を担保に村人の代理人としてお金を借り、無担保で村人に貸すのだ。 この制度のおかげで、ミニ事業家が村に誕生している。日本円で一万五千円借りて、ミシンを購入して一年で返済。この過程を繰り返し、三台のミシンと二人の縫製工をもつ女工場主。唐辛子の粉を作る機械を二台もって週に一万円の収入を稼ぐ元貧農などなど。 実地にインタビューを試みた。 ローン回収率は九八%だという。「村人七人の推薦が必要だ。返済できないとこの推薦人が共同責任をとる。七人もの保証人を作れる人は信用できる人」と中年女性のミニ銀行長がいう。「村の人の目」が、村人の良き行動を保証する。この村作り運動の要諦のひとつである。 曲がりくねった山道をさらに上り、南西部の州の最貧地区、ブラッド・シンハラ村にたどり着く。リーダーは黄衣の若い坊さんだ。サルボダヤのやっている孤児院出身とのことだ。手焼きのレンガを積んで家を建てている。村人が自助努力で三千円ほど貯めるとムサルボダヤは、一万五千円相当のセメント、砂、それに若干の建材を提供する。あとはすべて村人の共同作業で、三カ月もするとかわいらしい2LDKほどの家が完成する。 ルダシンゲさん(彼は十年かかってやっと頭金を貯めた)は家を建ててもらった一人だ。 「将来、やりたいことは、井戸とトイレを造ること」だという。井戸は家より高価で、日本円で三万五千円かかるとのことだ。だが、彼の収入では、まだまだかなわぬ夢のようだ。 アリ氏はいう。 「スリランカヘの海外からの大型援助は、あまり意味がない。政府主導でダムなどを造っても恩恵は人民に届かない。上から与えられた開発はNOだ。多額の海外援助は政府の腐敗を招きやすい。海外の金を私物化する新特権階級が生まれ、貧富の差はますます拡大する。スリランカ国に必要なのは、西欧流民主主義による近代化や、産業革命ではない。根本は村作りにある。貧農が望む開発を自力でやろうとふるい立たせることが大切だ。そして、協同で働くことのすばらしさをわかってもらうことだ。自分の村にある食糧や木材、家畜などの資源を有効に使えば、九割の農村は自立できるのではないか」と。 世界のNGO(非営利組織)の途上国でのコミュニティ作りの主流は、欧米流の市民社会論だが、彼の試みのなかには「市民」がなく、あくまで「村人」である。物質的豊かさの追求ではなく、生活に必要な最低限のモノは、自分でまかなえる自信をつける。アジア的土着型コミュニティである。 「人の個性を目覚めさせ、家族を目覚めさせ、村落を目覚めさせる。そしてそれが都市と国の目覚めを促し、世界の目覚めに至る」。彼の仏教的宇宙論だ。スリランカ国の村落の半分に浸透するある仏教哲学者の試み。それが、どう都市の目覚めに及ぶのか。まだ未知数である。 「象一頭で銀行がひとつ」 コロンボ。スリランカ一の大都会であり、地方からの人々の流入で年々肥大化し、人口百八十万人。ポルトガルと英国が建設しただけに、結構、瀟酒な場所もある。「七丁目」と呼ばれる地区は邸宅街で、チーク、鉄の木、バンヤンなどの樹木が屋敷の塀越しに緑をいっぱいに広げている。樹木は富と地位の象徴だ。「スリランカの田園調布です」。日本帰りの通訳氏がいう。 だが、サルボダヤ運動の村からの帰路、コロンボの下町は車のラッシュである。国営の黄色いガタガタのバス、インドから輸入した三輪車タクシー「タータ」。 中古ではなくアンティークの英国車もある。車検がないので部品を輸入して自分で修理して大事に使っている。七十年前のロールスロイスもまだ現役だ。日本ではとっくに粗大ゴミになっている車も元気に走っている。そのひとつ、「大川スイミング・スクール」と書かれたバスを見かけた。トラック代わりの象もチラホラ。 この国の象の数は三千頭。象一頭分の資金を集めて農村に設立されるサルボダヤのミニミニ銀行。その数はまだ象の数百分の一でしかない。
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