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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 年齢不相応?「どうしてそんなに働くの」  
コラム名: 自分の顔相手の顔 247  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/06/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   数年前に転んで骨折した時、私の事故を目撃していた夫は、私の足首から先の向きが変わってしまっているのを見て、悪く行くと私は一生車椅子、うまく行って杖をついて歩くようになるだろう、と思ったという。それがどうにか骨がよくついて、私は一応普通に歩くようになったのだが、やはり継いだ茶碗は継いだ茶碗である。時々足首の力が抜けたり、痛んだりする。
 しかし私はあまりそのことを気に病んだことがない。若い時の傷なら、これから先長い間使わねばならないのだから、直り方がいいかどうかは深刻な問題だ。しかし年を取ると使用年限は大体見当がつくから、完全でなくても、どうにか死ぬまで保てばいい、と気楽に思えるのである。
 東京で五時間くらいずつくらいしか眠らないような生活をした後で、十日間のお休みを取ってまたシンガポールに来た。とは言っても東京と同じ仕事をしている。ただせっかくなら土地の恩恵に浴そうと、中医と呼ばれる漢方医の所で指圧をしてもらいに通う。
 その女医先生は、女手で子供を育てている立派な人で、腕も大変にいい。私は全く自覚がないのだけれど、「あなたは腎臓の機能が悪い」というようなことを彼女が言うので、「そうですか。それなら少し用心しなければね」などと相槌をうちながら、背骨を延ばしてもらうのは極楽の気分である。
 或る日この女医さんの診療所に、別の女医さんが見学に来ていた。私の背中の一部がおかしな凝り方をしているのは、やはりワープロのせいなのだが、向こうはそんな理由は知らないから、どうしてこんなに凝っているのだろう、と同行していた中国語のできる私の友人に、しきりに聞くのだという。
 友人は、「この人(私のこと)は大変忙しい人で、たくさん働かなければならないから、背中が悪くなるのよ」と説明すると、見学の女医さんは実に不思議そうに、「この年で、どうしてそんなに働かなきゃいけないの?」と聞いたのだそうだ。
 通訳してもらって、私は心打たれた。ほんとうにその通りなのである。世の中には、他人がぐうの音も出ないほど正確なことを言う人がいるものだ。
 人間は、その年に従ってすべきことを、その能力の程度に応じて働くべきなのである。年齢不相応、ということはどちらに偏っても端正でないからきれいに見えない。
 ただ言い訳として考えてみると、私の「働く」は「したいことをしている」と同義語だから、いわば道楽と考えていい。
 東京で四、五時間の睡眠が、ここへ来ると七、八時間になる。毎日一食は、おいしいお米を炊いて、私の手料理で友人にご飯を食べてもらう。
 私の安息の一つの理由は、電話がかからないからなのだが、電話をかけて頂くことはありがたいことだ、という思いも忘れてはいない。
 



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