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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ヘルシンキ見聞記 フィンランド人とは何か?  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/01/30  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  金髪で顔は日本人?
 二〇〇〇年九月、ノルウェー・オスロ空港。ふと足元を見ると、石畳に数行の漢詩が刻まれているのを見つけたのである。「或計那里、冬尽春衰。又一傘夏季、光明又一載。我只堅信終有一天●(※にんべんに「尓」)会帰来。守着我許諸将●(※にんべんに「尓」)等待。Henrik Ibseu」とある。落書きではなく、わざわざ床にあしらった漢字の造形の面白さを表現する装飾だった。
 冬が極まり、春が衰え、また夏がめぐり来て、この里に光明が戻ってきた。私はいつの日かあなたが帰ってくるのを信じている。私は心に決めた約束を守り、ずっとあなたを待っている。おおむねそんな意味である。ノルウェーの文豪イプセンの小説の一節の中国語訳だ。
 このゲート付近は、日本人観光客が多い。「また観光に来てね」のつもりで彫刻したのだろう。でも、この漢詩を読める日本人は何人いるだろうか。観光の人気コース北欧の旅をした客のほとんどは、気にもとめず日本に帰ってしまったに違いない。北欧人にとって、東洋人とは? 日本人も中国人も韓国人も「おおむね似たような人」なのだろう。そういう思い込みが、せっかくの心遣いをアイデア倒れに終わらせた??と私は苦笑した。
 だが、「ちょっと待てよ」と思い直したのである。日本人にとって北欧人とは? と問われれば、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、そしてフィンランド人も、北欧人の東洋観と同様に「おおむね似たような人」との答が返ってくるに違いないと。アイスランドを加えた北欧五カ国は共通性はあるが、それぞれ異なる個性をもっている。とりわけフィンランドは、言語が異なり、文化も異なる。
 私の北欧の旅の目的のひとつは、北欧とは一つではなく国々の違いを実感することでもあった。さてフィンランド人とは何か? である。何でも観察してやろうと気持ちを引き締めてヘルシンキ便に乗った。機中のフィンランド人スチュワーデスは、ノルウェーで体験した北ゲルマン人女性とは明らかに異なる雰囲気をかもし出していた。あながち気のせいとは、言いきれないものがある。
「OSLO→HELSINKIの機中で思ったこと。同じ航空会社(SAS)でも、ノルウェー女性はブッキラ棒で、ドイツ人によく似ている。だが、この機のフィンランド人のスッチー。控え目ながら愛嬌アリ、フィンランド人は、北ゲルマンのバイキングの子孫に非ず。紀元前、アジアに近いヴォルガ川中流からやってきたフィン・ウゴール語族ナリ」。私の旅のメモ帳には、そう記されていた。
 ヘルシンキの空港には、あらかじめ打ち合わせておいた梅原・ソルサ・裕美さんが迎えに来ていた。ヘルシンキの大学に留学、社会学をやったが、そのままフィンランドに魅せられて居残り、フィンランド人のエンジニアと結婚、高校生のお子さんがいるという。この地でガイドと通訳をやっている。
「やっぱり気付いてくれましたか。同じ北欧といっても、フィンランド人は違うでしょ。金髪で日本人みたいな顔の人たくさんいるから……」。梅原さんがそう言った。
 フィンランド共和国。人口五百十五万人、国土は日本の九〇%。国土の七五%は森と湖である。山は、北のラップ・ランド(先住民のサーミ人の土地)にしかない。「日本人は、森が多くて素晴らしいとみんな感心するけど、美観や環境保全のために平地に広大な森を残したわけでもない。下が岩だから、畑が作れない。他に利用価値がないから森のままだ」とのこと、これも梅原さんの解説だ。南米からジャガイモが移入される以前の中世のこの地域は、スウェーデン王国の属領だったが、穀物不足で人口は五十万しかなかったという。だが、今では小麦畑がある。太陽の乏しいこの地で茎に栄養を取られないように丈の短い小麦に品種改良された。「丈は日本人のヒザぐらい、フィンランド人ならヒザ下まで。顔は似ていても足が長いから」と梅原さんは笑う。
 
フィンランド人になろう
「ところでフィンランドとは、どんな国?」彼女にそう切り出してみたのである。「十九世紀の初め民族のアイデンティティー、つまり私って何者なのかを問う運動が盛んになった。スネルマンという哲学者が“我々はスウェーデン人ではないが、かといってロシア人にもなりたくない、故にフィンランド人になろうではないか”と人々に訴え紆余曲折、苦労の末、独立を勝ち取った変わった国よ」。“詳しくは本を読まれたし”と、ヘルシンキの本屋に連れていかれた。
 そこで「フィンランドに関する最も成果ある英文の学習書」と銘打った『フィンランド小史』なる本を求めた。序文の書き出しがふるっていた。「フィンランドはいろんな意味で独特の国である。フィンランド人は、すっきりしたどの範疇にも区分けできない。フィン語はスカンジナビアの隣ともロシアとも全く異なる。七世紀もの間、スウェーデンに属し、十九世紀初頭にはスウェーデンによって帝政ロシアに身売りされた。だが独自の文化を維持、一九一七年ロシア革命のどさくさで独立した。今でもスウェーデン語を話す国民が六%いる。世界初の婦人参政権を実施した。一九三九年〜四四年、この小さな国は巨大なソ連と闘った。一時は対ソ戦でドイツと組んだが、四四年以降中立政策をとる。五五年、国連加盟、九五年EU加盟、九九年欧州通貨同盟に入る」とある。
 フィンランド人を描くところのこの国の“自画像”はまだ続く。「フィンランドの地図を一瞥した限りでは、かくも成功した国には見えぬであろう。国土の三分の一は北極圏、天然資源に限りがあり石油はない。寒くて暗い冬がのしかかり、農業は苦難に満ちていた。フィンランド人はその中でしっかりと生きてきたのみならず、今日では欧州で最高の福祉を実現し、民主政治のもとで、物心両面で質の高い生活を謳歌している」と誇らしげに結ばれていたのである。
 この国の生んだ民族音楽家にシベリウス(一八六五〜一九五七)がいる。シベリウスの交響詩『フィンランディア』はことに有名である。フィンランドの『古事記』ともいえる叙事詩『カレワラ』を曲想とし、帝政ロシアからの独立を訴えた幻想曲である。フィンランド人のアイデンティティーの源泉はいまでもここにある。ヘルシンキ市内のシベリウス公園を訪れる。パイプオルガンを型どった記念碑に、彼の顔が刻まれていた。
「この人は絶対音感があり、音を色で連想した。“レ”と“ファ”の音が好きで、作品には二短調が多い。ファの音はたしか緑だったかな。一八九九年の新聞記者大会で、ロシア弾圧に抗議する“幻想曲”として発表され、のちにフィンランディアと命名された」と梅原さん。「シベリウスは、内気でとてもシャイな人だった」とも言う。彼がそういう人であったからこそ、内に秘めた民族的覚醒の念が十分に発酵して、人の心をとらえる偉大な作品に昇華したのだろう。
 
ナナカマドの実が落ちると…
「フィンランド人はシャイな人が多い。とっつき難いが、付き合ってみるととてもやさしい。相手の気持ちを気にかけつつ言葉を選んで話す人々だ」と梅原さんは解説する。「日本人のことをどう思っているのかですって。よく働く。気持ちがやさしい。ロシアと闘った。小国なのに最高の経済を実現した。内気だ。変わった言葉を使う人。そう思っている。もっともこれはフィンランド人にもそのままあてはまるのだが。つまり日本人は自分たちと似ている民族だと思い込んでいる。その代わり北欧では変な言葉を話す変わり者と陰口をたたかれているけど」と。
 万葉集や古今集のフィンランド語訳が出版されている。和歌の情緒がフィンランド人にはわかるらしい。「この国は農漁民にも知識人が多い。田舎のジイサンみたいな人が農学博士だったり、漁村に買い出しに行くと、オバサンが自分の詩を朗読してくれたりする」と梅原さんは言う。
 では、ヨーロッパやアメリカをどう思っているのか。英国人は好き。アメリカにはあこがれる。ロシア人とドイツ人は嫌い。ロシア人に対しては「リュッサ」という蔑称さえある。スウェーデン人は好きでない。梅原さんの判定である。フィンランドに限らず北欧人のスウェーデン嫌いは、よく耳にした。「北欧五カ国の長兄顔して、乙にすましている。Sマークの車(スウェーデン籍の車)に出合うと、あおってやりたくなる」という話をノルウェーでも聞いた。
 旅をすると北欧は、一面ではゆるやかな政治経済の共同体を目指してはいるが、実体は決して「ひとつの北欧」ではないことを痛感する。この国初の女性大統領の官邸脇に、ナナカマドの赤い実がたわわに実っていた。鳥が食べ残した実は、やがて凍りつき、真紅の色のまま白雪に落下する。暗く寒い長い冬がやってくる。人々は一斉に内向的になり、時には考え過ぎが昂じて、病院の神経科が繁昌する。この点だけは、北欧五カ国に共通しているという。だからひとまとめにして、「NORDICCOUNTRY(北の国)」と言うのかも知れない。
 



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