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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: オウムの施設?歴史は淡々と事実を残すべき  
コラム名: 自分の顔相手の顔 360  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/08/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ヨーロッパヘ行って、古いお城を見るのは一つの楽しみだが、ガイドや同行の友人など歴史に詳しい人の説明を聞きながら歩くと、いつも思うことがある。それはこうした権力と名声と財力を手にした人々が決して幸福ではなかった、ということである。城にはむしろ、病気、別離、強制された結婚、戦争、幽閉、処刑、など庶民の運命よりはるかに深刻な不幸が付きまとっている。
 私たちが民主主義を好み、特権階級を許さず、財閥の存在を防ぎ、高額所得者から高い税率で税金を取ろうとするのは、そこに、きれいごとで言えば正義の感情、下世話に言うと他人がいい思いをするのを許さないという嫉妬の感情があるからである。
 しかし城や宮殿の持ち主というのは、決して幸福ではなかった。誰しも自分の不幸は隠そうとするが、隠して置けないほどの不幸がどの城にもしみついている。王侯・貴族は金と権力といわれのない尊敬をほしいままにし、いい思いをした、とするのは、多分庶民の大きな誤解なのである。
 民主主義が正義の名の元に飽くなき平等を欲求したことは多分九十パーセントまで正しいのだが、こうした平等と公平の感情が、最近になって建築や美術や工芸の衰退を招いたことは隠しようもない。だから特権階級を復活しろ、などと私は言っているのではないが、恐ろしいほどの数の庶民の我々が、コンコルドの墜落もものともせず旅行にでかけ、あちこちで必ず見るのはこうした王侯・貴族の富の結晶である王宮や城や、そこで生まれた美術品なのである。そしてこのような城や王宮、それに付属した調度も生活様式も、二度と再び民主主義の中で育つことはないだろう。それでけっこうなのだが、これは一側面としての文化の衰退と文化の喪失を招いていることもまちがいない。
 民主主義は、悪の歴史をすぐに抹殺しがちである。上九一色村は、オウムの施設をすぐに取り壊した。あれほどの前代未聞の悪の現場は、危険がないかどうかを調べた上で、一つの日本人の精神史として長く保存して、ついでにそれに隣接して犯罪博物館を開くべきだった、と私は思っている。それが村の観光資源になったはずだ、とまでは言わないが、それがあの村の持つ使命だったとは思う。歴史は淡々と事実を残すべきだろう。それが後世の人々への大きな警告になる。都合のいいことだけを残してはいけないだろうし、悪にも使い道はあるのである。
 今度ベルリンヘ行って、改めてヒトラーの最後の場所を見ようとしたのだが、その場所はわかっていても、有名な地下防空壕など全く公開したことがない、という。しようとすると反対の圧力がかかるのだが、それは必ずしもドイツ人の側からではない、らしい。しかし最近では少しずつ空気が変わってきているというから、新しいベルリンの一つの歴史的場所として我々が誰でも近づける場所になる日も近いのかもしれない。
 



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