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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 異変?「災害発生」見込んでこそ常態  
コラム名: 自分の顔相手の顔 272  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/09/20  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は畑をいじったり、木を植えたり、花を作るのが大好きなのだが、本来怠けたいという性分はぬきがたいので、丈夫で手のかからない種類ばかり植えたがる。
 南アやオーストラリアの木の中には、大きな花を一月近く咲かせ続けるプロテアという木もあるし、花は咲かないのだが、不思議な枝ぶりが生け花にいい木も数多くある。南アの人に日本でもこうした木が育つと言っても、決して信じないのもおもしろい。
 プロテアの花が咲くと、茶人の友達に嫌がらせに「あげましょうか」と言ってみる。すると「ああいう“お丈夫”な花は要りませんよ」とけんもほろろに笑って断られる。一カ月保つような図々しい花なんて、夕方までの命をいとおしむ茶花には使えないそうだ。その美学はよくわかるのだが、それでも私は“お丈夫”な花が好きなのである。
 プロテアの一種だと思って花を期待して植えた木が一本あった。人の背の倍以上になっても、何の花も咲かせない。葉は分厚く小さな鋸(のこぎり)のようで、景色は遮るし風情はないし、いいことはない。私は「切っちゃうゾ」と何度か木を脅迫しながら、それでも何年か実行を延ばして来た。
 しかし今年こそもう我慢がならなくなった。植木屋さんに「この木、すみませんが切ってください」と言ってふと見ると、枝の先端ではなく、隠れるように長さ二十センチくらいの松ぼっくり状のものを幾つもつけている。
 ふとこの木は、私の暴言と脅迫を聞いて、身を守るために一瞬のうちに実をつけたのだ、という気がした。その前に何度も木を見ていたのだが、そんな実はなかったのである。
 たかが木一本のことでも人間は現在も将来もわかっていない。予想というものはほとんどの場合当たらない。小渕総理の評判は初めあんなに悪かったから、果たしてよくなって来た。最近よくなって来たから、それが危険の始まりなのである。
 ノストラダムスの予言では、一九九九年の七月に何か大異変があると言っていたそうだが、遂に何も起きなかった。たとえ起きていてもノストラダムスの予言とは無関係だろう。
 天変地異などというものは、いつでもどこかで起きている。過去の歴史を見ても、大地震、大洪水、雪崩や地滑り、広範囲の干ばつなどのなかった年などないだろう。また最近では、内戦、クーデター、民族紛争の殺し合い、狂的な集団自殺、テロによる暗殺や爆発や墜落や沈没、伝染病の流行などという人為的災害も、それに加わっていつでも起きる可能性がある。むしろ国家から輸送機関まで、それらは存在と同時に、異常な手段で破壊の可能性がある、と考えるのが自然だろう。
 常態というのは、異常事態こみで、常態なのである。
 



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