共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 正直な国?なぜ誇らぬ日本人の特性  
コラム名: 自分の顔相手の顔 141  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/05/11  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ずっと前のことだが、洗濯機を廻し終わって乾燥機にかけたら、ごとごとと異様な音がした。機械が壊れたのかと思って止めて調べると、私の腕時計が中で廻っていた。私のスラックスのポケットに入れたままの腕時計は哀れにもずっと水中で二十分以上揉まれ、乾燥機のドラムの中でようやくその存在に気がついてもらえたのである。
 その翌日、私は問題の時計の電池を替えに行った。外国へ行く前には電池を入れ直す習慣があった。デパートの時計売り場で私は、「実はだらしがないもので、昨日洗濯物といっしょにずっと洗ってしまったんです」と言った。すると店の人は少しあきれたような表情をして「もしかすると電池を替えても動かなくなるかもしれませんよ」と言った。
 しかしその時計は今に至るまで少しの狂いも見せずに動いている。まだ何気圧に耐えますなどということが売り物になる以前の、初期の分厚なクオーツであった。それはシチズンの時計であったが、私はこういう製品を作る会社にも日本人にも深い尊敬を持った。
 先日、外国から帰ってくると、秘書が「一万円、返って来ました」と嬉しそうな顔をした。それは洗濯に出した白洋舎の店員さんが、うちの洗濯物のポケットから見つけたもので、きちんと受け取りを書かせて、お金をおいて行ったという。
 私は再び、頭の下がる思いがした。どうも私は自分がだらしないことをする度に、日本人の立派さや正直さに出会うことになるのである。
 どこにこんな正直な国があるだろう。ホテルにまちがいなく置き忘れた時計を一時間後に空港で思い出して、何号室に時計がないか見てくれと言っても、まずありました、というケースはないのが外国では普通なのである。
 私の家には時々、普通郵便にじかにお札を入れるという形で(それは違法なのだろうが、郵便局が近くにないから、というような理由で)寄付のお金が送られて来ることがある。今までで一番高額は、無記名の人からの七十五万円だった。手の切れるような新札だったから、かなり分厚なカードのような手応えだった。そういうものが無事に届けられるのである。日本の郵政関係者の折り目正しさも世界のトップレベルだろう。
 この正直さと正確さは、日本の大きな資産である。途上国はもちろん、アメリカもフランスも真似のできない偉大な力をもつ資産である。こういう日本人の徳性に関する評価が、今は国内で看過されすぎている。
 昔、私たちは子供の時、おばあちゃんの傍にちょこんと座って仏壇を覗き込み、地獄極楽の図などというものを見せられて、嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれ、永遠に地獄から出られないのだと教わったのだ。子供にはああいう道徳教育もいい。子供はこわがりながらも地獄の話を聞くのが好きで、それですんなりと正直な人間ができるのである。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation