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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 断食月?耐える力失ったか…日本人  
コラム名: 自分の顔相手の顔 302  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/01/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イスラムの断食月の或る日、シンガポールの知人がイスラム料理店に行こうと言った。
 イスラムの断食というのは日の出から日の入りまで水も食べ物も薬も口にしないことを言う。だから人々は大変忙しい。夜明け直前のまだ暗いうちに起き出して料理を作って食べ、昼の間中、空腹と渇きを我慢して日の入りが告げられると共にやっと食事にありつく。
 それでイスラム圏では断食月の間は、夜になるとレストランが混んで仕方がない、というのが常識なので、私たちはイスラム料理を食べるのを避けていたのだが、地元の人が行こうと言うのだから安心してついて行った。
 その日の日の入りの時刻は午後七時八分だそうだったが、レストランに着いたのは六時半頃だった。店の中はまだ暗く、料理を並べる大きな器には、残りものみたいなカレーがほんの少し入っているだけで、補充のお料理は奥からあわてて持って来た。客はもちろん私たちだけ。お持ち帰りの客だけはかなり多かった。
 それでもレストラン自体が開いているのは、この町が多民族・多宗教国家だからで、基本的には仏教徒かクリスチャンの中国人も、ヒンドゥ教徒のインド人もいるわけだから、店は何時でも開けているのだろう。しかしイスラムとヒンドゥはいつも対立的で、昨年暮れにはインディアン航空のハイジャック事件があったばかりなので、インド系とみられる人がイスラム・レストランに入っているのはあまり見たことがない。
 顔だちの違う私たちは安心して時間にかまわずさっさと注文し、おいしいおいしいと食べているうちに、七時近くなると急に家族連れが増えて来た。店はイスラムの掟に従って酒類は出さないが、子供たちの前にはジュースやコーラなども運ばれ、冷めてもいいサラダなどもテーブルに出されたが、それでも人々は喋ったり新聞を読んだりしていて、食物には手を出さない。子供も例外ではない。
 七時になると店のラジオが、イスラムのお祈りらしいものを流し始めた。人々はそれで黙祷するわけでもないが、まだ食事は始めない。私は店の主人にいつ食事を始めるのか、と尋ねた。するとこのお祈りが終わってからだという。後でわかったのだが、お祈りは約八分間くらい続く勘定であった。
 日本でこんな話をしたら、おそらくこういう規則で人を縛るのはいけないなどと言うだろうと思う。何に似ているか、というと犬の「お預け」に一番似ているからである。
 しかし砂漠に発した宗教の人は、人生では我慢すること、と、耐えることが生きるための技術であることを知っている。欲しい時に、すぐ十分な水を飲めなければ耐えられない人間は生きていけないからである。
 日本では「お預け」を自らの選択で許容する必要など全くない。いつでもすぐ欲望を叶えられるのがいいことになったからだ。しかしそれと同時に日本人は、耐える力を失ったのかもしれない。
 



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